上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
第二百三十九段

 月については早くは第二十一段に、そして第二百十二段には特に秋の月について、兼好の特別の思いが語られていました。

 「月はくまなきをのみ、見るものかは」(第百三十七段)とは言っても、やはり満月は彼にとっても格別だったようで、ここでは八月十五日の「十五夜」と九月十三日の「後の名月」が話題とされます。

 十五夜は解るとしても、どうして九月が満月の日ではなくて十三日なのかということについて、その日が「婁宿」であり、「清明」だからだと説明しているわけですが、肝心のその「婁宿」が特別に「清明」である所以が説明されていませんので、納得することになりません。

 『全注釈』によれば、古来多くの考察がなされて来ているようですが、まだ解っていないようです。

 彼自身はこれで納得していたのでしょうか。
 そうではなくて、やはり彼の考察ないし知識の断片をちょっとメモしておいたということではないかと思います。

《原文》
八月(はづき)十五日、九月(ながつき)十三日は婁宿(ろうしゅく)なり。この宿、清明なる故に、月をもてあそぶに良夜とす。
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ にほんブログ村 本ブログ 古典文学へ にほんブログ村 教育ブログ 国語科教育へ
第二百三十八段

 「自讃の事七つあり」と書き始められるので、これまで他人をしばしば見事に描いてきた筆で、いよいよ自分を語るのかと思ってしまいますが、実は彼自身の姿が浮かび上がるような話ではありません。

 最初に、「させることなき事ども」と断ってありますから、そのつもりで読むべきですが、それでもその一つ一つはいずれもあまりに「させることなき事」だという気がします。

 ①「馬芸」に心得があったこと、②『論語』の一句の在処を即答できたこと、③漢詩に心得があったこと、④能書家・行成についての知識があったこと、⑤仏教の言葉を知っていたこと、⑥加持香水の仕組みを承知していたこと、⑦女性の誘惑にだまされなかったことの七つが自慢されているのですが、どれを取っても単発的なエピソードの域を出ない、他愛のない話で、自分を語るというような広がりを感じさせるものはありません。

 あえてここから窺われる兼好を考えれば、博識であることはもちろんですが、しかしそれも書かれた範囲だけでは、古い例えで恐縮ですが「話の泉」的知識の域を出ないという気がします。
 最後の話はご愛敬という程度で、こんな他愛のないことを「自讃」としてわざわざ書き留めるのは、ずいぶんお人好しの人物ということになりそうです。

 彼が本気で誇りとすることは、おそらく和歌の世界のことで、二条家から古今集の家説を伝授されたこととか、勅撰集に採用されたことではないかと思われますが、そのことはすべて外して、ちょうど第百十七段で『論語』の「益者三友、損者三友」のパロデイを書いたように、ここは自讃の四番目、五番目以下から挙げて、遊びの場としたということなのではないでしょうか。

 ところで、これらを自讃と思わないで、誰か別の人がしたことが書いてあると思って読んでみると、それぞれの話は、独立させて本書の考証とか有職などの一段としてもよいような話で、それなりにおもしろく読めます。

 そうすると、さしずめ、①や⑥はその道を知れる人の話、⑦は笑い話です。

《原文》
御隨身 近友が自讚とて、七箇條かきとゞめたる事あり。みな馬藝(ばげい)、させることなき事どもなり。その例をおもひて、自讚のこと七つあり。
一、 人あまた連れて花見ありきしに、最勝光院の邊にて、男の馬を走らしむるを見て、「今一度馬を馳するものならば、馬 倒れて、落つべし、しばし見給へ」とて、立ちどまりたるに、また馬を馳す。とゞむる所にて、馬を引きたふして、乘れる人泥土の中にころび入る。その詞のあやまらざることを、人みな感ず。
一、 當代いまだ坊におはしまししころ、萬里小路殿(までのこうぢどの)御所なりしに、堀河大納言殿伺候し給ひし御(み)曹司へ、用ありて參りたりしに、論語の四・五・六の卷をくりひろげ給ひて、「たゞ今御所にて、紫の朱(あけ)うばふ事を惡むといふ文を、御覽ぜられたき事ありて、御本を御覽ずれども、御覽じ出されぬなり。『なほよくひき見よと』仰せ事にて、求むるなり」と仰せらるゝに、「九の卷のそこそこの程に侍る」と申したりしかば、「あなうれし」とて、もてまゐらせ給ひき。かほどの事は、兒どもも常のことなれど、昔の人は、いさゝかの事をもいみじく自讚したるなり。後鳥羽院の御歌に、「袖と袂と一首の中にあしかりなんや」と、定家卿に尋ね仰せられたるに、
   秋の野の草のたもとか花すゝき ほに出でて招く袖と見ゆらむ
と侍れば、何事かさふらふべきと申されたることも、「時にあたりて本歌を覺悟す。道の冥加なり。高運なり」など、ことごとしく記しおかれ侍るなり。九條相國伊通公の款状にも、ことなる事なき題目をも書きのせて、自讚せられたり。
一、 常在光院の撞鐘(つきがね)の銘は、在兼卿の草なり。行房朝臣 清書して、鑄型にうつさせんとせしに、奉行の入道、かの草をとり出でて見せ侍りしに、「花の外に夕をおくれば、聲百里に聞ゆ」といふ句あり。「陽唐の韻と見ゆるに、百里あやまりか」と申したりしを、「よくぞ見せ奉りける。おのれが高名なり」とて、筆者の許へいひやりたるに、「あやまり侍りけり。數行となほさるべし」と返り事はべりき。數行もいかなるべきにか、もし數歩(すほ)の意(こゝろ)か、覚束なし。
一、 人あまた伴ひて、三塔巡禮の事侍りしに、横川の常行堂のうち、龍華院と書ける古き額あり。「佐理・行成の間うたがひありて、いまだ決せずと申し傳へたり」と、堂僧ことごとしく申し侍りしを、「行成ならば裏書あるべし。佐理ならば裏書あるべからず」といひたりしに、裏は塵つもり、蟲の巣にていぶせげなるを、よく掃き拭ひて、おのおの見侍りしに、行成位署・名字・年號、さだかに見え侍りしかば、人みな興に入る。
一、 那蘭陀寺にて、道眼ひじり談義せしに、八災といふ事を忘れて、「誰かおぼえ給ふ」と言ひしを、所化みな覺えざりしに、局のうちより、「これこれにや」といひ出したれば、いみじく感じ侍りき。
一、 賢助僧正に伴ひて、加持香水を見はべりしに、いまだ果てぬほどに、僧正かへりて侍りしに、陣の外まで僧都見えず。法師どもをかへして求めさするに、「同じさまなる大衆多くて、え求めあはず」といひて、いと久しくて出でたりしを、「あなわびし。それ、もとめておはせよ」といはれしに、かへり入りて、やがて具していでぬ。
一、 二月(きさらぎ)十五日、月 明き夜、うち更けて千本の寺にまうでて、後より入りて、一人顔深くかくして聽聞し侍りしに、優なる女の、姿・匂ひ、人よりことなるが、わけ入りて膝にゐかかれば、にほひなどもうつるばかりなれば、敏あしと思ひて、すり退きたるに、なほ居寄りて、おなじさまなれば、立ちぬ。その後、ある御所ざまのふるき女房の、そゞろごと言はれし序(ついで)に、「無下に色なき人におはしけりと、見おとし奉ることなんありし。情なしと恨み奉る人なんある」と宣ひ出したるに、「更にこそ心得はべらね。」と申して止みぬ。
 この事、後に聞き侍りしは、かの聽聞の夜、御局のうちより、人の御覽じ知りて、さぶらふ女房を、つくり立てて出し給ひて、「便よくば、言葉などかけんものぞ。そのありさま參りて申せ。興あらん」とて、はかり給ひけるとぞ。
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ にほんブログ村 本ブログ 古典文学へ にほんブログ村 教育ブログ 国語科教育へ
第二百三十七段

 有職のどうでもいいような話ですが、ちょっとおもしろいテーマです。
 細い簀の子のようになった台に、筆を横に置くか縦に置くか、という問題です。

 簀の子の木の並びと同じように縦に置けば、転がらなくていいでしょうし、筆の数が多ければ、見た目にもすっきりと見えそうです。

 木の並びに対して横に置けば、そこが筆の定まった置き場所と見えて、安定感はありそうです。少しの筆をきちんと置く、という感じからすれば、横に置くのでしょうか。

 どう置くのだろうと一度は考えてしまいそうなことではあります。
 現代にもこれに似たことはないだろうかと考えてみますが、ちょっと思い当たりません。

《原文》
柳筥(やないばこ)に据(す)うるものは、縦ざま、横ざま、物によるべきにや。「卷物などは縦ざまにおきて、木の間より紙 捻(ひね)りを通して結ひつく。硯も縦ざまにおきたる、筆ころばず、よし」と、三條右大臣殿仰せられき。
 勘解由小路(かでのこうぢ)の家の能書の人々は、假にも縦ざまにおかるゝことなし、必ず横ざまにすゑられ侍りき。
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ にほんブログ村 本ブログ 古典文学へ にほんブログ村 教育ブログ 国語科教育へ
第二百三十六段

 いかにもありそうな失敗談で、これも書中屈指の愉快な話です。兼好はこういう話が大好きらしく、その書きぶりも鮮やかです。

 獅子と狛犬の不思議な配置に気付いた上人は、深い由緒を期待してその感激が次第に昂じ、自分の発見の輝かしい栄誉が定まるだろうと得意に胸を膨らませた次の瞬間に、逆に自分の粗忽ぶりが露呈してしまうという、ドラマテイックな構成が大変効果的です。

 神官の動作に「往にければ」を添えたのも心憎く、一行の空しく取り残された感じが目に浮かぶように浮き彫りになりました。

 そしてその後何が起こったかを一言も語らない手法は、兼好のよく用いる手ですが、ここでも、言いようのないおかしさを余韻として増幅してくれています。

 ところで、こういう話に兼好の批判精神、反権威の態度を見ようとする読み方があるようですが、そうではないだろうという気がします。

 兼好は、例えばこの上人の「センチメンタリズム」を「批判」している(『作品研究』)わけではなく、また「冷ややかに語る」という姿勢で書いている(『古典』)わけでもなく、ただそこに起こった事柄をおかしがり、そのように振る舞う人間をおもしろがっているだけなのではないでしょうか。

 確かに『徒然草』にはいくつかの学僧の失敗談や権力者の権威が失墜する話がありますが、反対に高僧の高僧たる所以、権威あるべきもののゆかしさを語った段もそれと同じほどあって、そういう彼らに対して十分な敬意を払っています。

 彼は、反権力、反権威の思想はもちろん、恐らくそんな意識さえ決して持ってはいなかったと思います。
 彼はただ人間がおもしろかったのです。
 第六十段で盛親僧都を、また第八十四段で法顕三蔵を語る時も、第四十二段で良覚僧正を、そしてこの段で聖海上人を語る時も、同じようにそこに人間の神聖な悲喜劇を見ているのです。

《原文》
丹波に出雲といふ所あり。大社を遷して、めでたく造れり。志太の某(なにがし)とかやしる所なれば、秋の頃、聖海上人、その外も人數多(あまた)誘ひて、「いざ給へ、出雲拜みに。かいもちひ召させん」とて、具しもていきたるに、おのおの拜みて、ゆゝしく信起したり。
 御前なる獅子・狛犬、そむきて後ざまに立ちたりければ、上人いみじく感じて、「あなめでたや。この獅子の立ちやういと珍し。深き故あらむ」と涙ぐみて、「いかに殿ばら、殊勝の事は御覽じとがめずや。無下なり」といへば、おのおのあやしみて、「まことに他に異なりけり。都のつとにかたらん」などいふに、上人なほゆかしがりて、おとなしく物知りぬべき顔したる神官を呼びて、「この御社の獅子の立てられやう、定めてならひあることにはべらむ。ちと承らばや」といはれければ、「そのことに候。さがなき童どもの仕りける、奇怪に候ことなり」とて、さし寄りてすゑ直して往にければ、上人の感涙いたづらになりにけり。
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ にほんブログ村 本ブログ 古典文学へ にほんブログ村 教育ブログ 国語科教育へ
第二百三十五段

 心というものを考察した、大変興味深い段です。

 家を例えに挙げたのは、入ってくるものが困ったものである場合の話、鏡を例えにしたのは、入ってくるものが必要なものである場合の話ということになるでしょう。

 心の中にもその両方が入ってくるというわけです。

 最後の「心にぬしあらましかば、胸のうちに若干のことは入り来たらざらまし」は、大変近代的に見える書き方で、しっかりした主体性を持たないと、心に惑いが生じるのだと言っているようにも思われます。
 が、おそらくそうではないでしょう。
 助動詞「まし」は「動かし難い目前の現実を心の中で拒否し、その現実の事態が無かった場面を想定して、その場合起こるであろう気分や状況を心の中に描いて述べる」(『岩波古語辞典』)ものですから、鏡の例の中でも同じ書き方がされていて、鏡に「色・かたち」がないのと同じように、もともと心には「ぬし」はいないのだということ事実として前提において、その反対を示すことによって、どれ程たくさんの「念」が入り込んでくることかという感嘆を、いささかの諧謔を交えて言っているのだと思われます。

 まったく私たちの心にはどれ程多くのことが写っては消えていくことでしょう。

 その中にはかけがえのない大切な思いもいくつかあることでしょうが、それも結局は消えていきます。
 そう思うと、何か切ない気がしてきます。

《原文》
主ある家には、すゞろなる人、心の儘に入り來る事なし。主なき所には、道行人みだりに立ち入り、狐・梟やうの者も、人氣(げ)にせかれねば、所得顔に入り住み、木精(こだま)など云ふ、けしからぬ形もあらはるゝものなり。
 また、鏡には色・形なき故に、よろづの影きたりてうつる。鏡に色・形あらましかば、うつらざらまし。
 虚空よくものを容る。われらが心に、念々のほしきまゝに来たり浮ぶも、心といふものの無きにやあらん。心にぬしあらましかば、胸のうちに若干(そこばく)のことは入りきたらざらまし。
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ にほんブログ村 本ブログ 古典文学へ にほんブログ村 教育ブログ 国語科教育へ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。