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第二百四十一段

 もう幾度も語られてきた、諸縁放下の話です。

 『全訳注』は「本書の中に置かれた位置からして、満を持して書かれた総決算的な段かも知れない」と書いていますが、むしろ、この期に及んでなおまた書こうという気になったということ自体が、彼の心がまだそこに定まらず、揺れている証しであると言えるのではないでしょうか。

 以前にも言ったように、すでにその境地にいる人がこういうことを幾度も書こうという気になるとは思われません。

 改めて語られるこの段には、「いまだ病急ならず、死に赴かざる程は、常住平生の念に習ひて」とか、「年月の懈怠(けだい)を悔いて、この度もしたち直りて命を全くせば、夜を日につぎて、この事かの事、怠らず成じてんと、願ひをおこす」とかという、人の心の機微に触れたリアルな把握は見られるものの、以前の所説と比して、格別新しい観点とか深まりはないように思われます。

 結局この種の話で最も私の記憶に強く残っているのは第十八段の許由の話です。

 百の説法より一つの実践、許由のあり方はいかにも自由で、すがすがしい諸縁放下を自ずと物語っているような気がしますが、こういう説法には息苦しさを感じます。

 自らそれが出来ている人と、そうではないままに懸命に語っている話との違いではないだろうかと思います。

《原文》
望月の圓(まどか)なる事は、暫くも住(じょう)せず、やがて虧けぬ。心とゞめぬ人は、一夜の中(うち)に、さまで變る樣も見えぬにやあらん。病のおもるも、住する隙なくして、死期(しご)すでに近し。されども、いまだ病急ならず、死に赴かざる程は、常住平生の念に習ひて、生の中(うち)に多くの事を成じて後、しづかに道を修せむと思ふ程に、病をうけて死門に臨む時、所願一事も成ぜず。いふかひなくて、年月の懈怠(けだい)を悔いて、この度もしたち直りて命を全くせば、夜を日につぎて、この事かの事、怠らず成じてんと、願ひをおこすらめど、やがて、重(おも)りぬれば、われにもあらず、とり亂して果てぬ。この類のみこそあらめ。この事まづ人々急ぎ心におくべし。
 所願を成じてのち、いとまありて道にむかはむとせば、所願盡くべからず。如幻の生の中に、何事をかなさん。すべて所願皆妄想なり。所願心にきたらば、妄心迷亂すと知りて、一事をもなすべからず。直ちに萬事を放下して道に向ふとき、さはりなく、所作なくて、心身ながくしづかなり。

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