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第二百四十段

 これは兼好にとって戯文なのではないでしょうか。

 「王朝文学趣味」(『全訳注』)と言えなくはありませんが、それよりむしろ江戸の戯作者の文章を思わせます。

 言っていることも解らなくはありませんが、どう見ても、まだ結婚したことのない学生が、何かわけがあって頭の中で結婚ということを否定的に考えている時のような、理屈っぽさと青臭さと独りよがりが感じられます。

 『徒然草』が書き上げられたのが一三三〇年頃とすると、兼好がおよそ五十歳ごろになります。
 仮にこの段がそのころに書かれたものと考えると、その歳で彼がまじめにこういうことを考えていたとするのは、あまりに彼にとって不名誉なことではないでしょうか。

 男女の間柄においては、「親・はらから許して、ひたふるに迎へ据えゑたらん」という状態を「まばゆかり」と思うようなことは、理屈で考えられるだけで、実際にはよほどの未熟の若者でもなければ、ないことでしょう。

 仲人の世話で一緒になったにしても、最初の一言はぎこちなくても、次第になじむのが人情です。

 一緒になって時が経つにつれて、お互いに相手が期待以下に見えてくるのは、むしろ恋愛の方にありがちな話のような気がします。

 どういう形にしろ、連れ添って、次第に相手が空気のように身に添うものになったことに気付くのが、普通の夫婦の歴史でしょう。

 氏も育ちも違い、しかも男女という、元来異質のものが和合するのは、理屈ではあり得ないことです。
 しかし自然の成り行きなのです。

 そのことを無視したこの段のような考え方は、全く堅物の青年の観念の産物としか思えません。
 人間観察の見事な兼好に、そういうことが解っていないはずはないのではないでしょうか。
 戯文で堅物の思考を著したのも一つの趣向と言えるでしょう。彼はにやにやしながらこの文の推敲を楽しんだのではないでしょうか。

《原文》
しのぶの浦の蜑のみるめも所狹く、くらぶの山も守る人しげからんに、わりなく通はむ心の色こそ、淺からずあはれと思ふふしぶしの、忘れがたき事も多からめ。親・はらからゆるして、ひたぶるに迎へすゑたらむ、いとまばゆかりぬべし。
 世にあり侘ぶる女の、似げなき老法師、怪しの東人なりとも、賑ははしきにつきて、「誘ふ水あらば」など云ふを、仲人、いづかたも心にくきさまに言ひなして、知られず、知らぬ人を迎へもて來らむあいなさよ。何事をかうち出づる言の葉にせむ。年月のつらさをも、「分けこし葉山の」などもあひかたらはむこそ、つきせぬ言の葉にてもあらめ。
 すべて、よその人のとりまかなひたらん、うたて、心づきなき事多かるべし。よき女ならんにつけても、品くだり、みにくく、年も長(た)けなむ男は、「かく怪しき身のために、あたら身をいたづらになさんやは」と、人も心劣りせられ、わが身はむかひ居たらんも、影はづかしくおぼえなん。いとこそ、あいなからめ。
 梅の花かうばしき夜の朧月にたゝずみ、御垣(みかき)が原の露分け出でむありあけの空も、わが身ざまに忍ばるべくもなからむ人は、たゞ色好まざらむにはしかじ。

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