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第二百三十九段

 月については早くは第二十一段に、そして第二百十二段には特に秋の月について、兼好の特別の思いが語られていました。

 「月はくまなきをのみ、見るものかは」(第百三十七段)とは言っても、やはり満月は彼にとっても格別だったようで、ここでは八月十五日の「十五夜」と九月十三日の「後の名月」が話題とされます。

 十五夜は解るとしても、どうして九月が満月の日ではなくて十三日なのかということについて、その日が「婁宿」であり、「清明」だからだと説明しているわけですが、肝心のその「婁宿」が特別に「清明」である所以が説明されていませんので、納得することになりません。

 『全注釈』によれば、古来多くの考察がなされて来ているようですが、まだ解っていないようです。

 彼自身はこれで納得していたのでしょうか。
 そうではなくて、やはり彼の考察ないし知識の断片をちょっとメモしておいたということではないかと思います。

《原文》
八月(はづき)十五日、九月(ながつき)十三日は婁宿(ろうしゅく)なり。この宿、清明なる故に、月をもてあそぶに良夜とす。
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