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第二百三十八段

 「自讃の事七つあり」と書き始められるので、これまで他人をしばしば見事に描いてきた筆で、いよいよ自分を語るのかと思ってしまいますが、実は彼自身の姿が浮かび上がるような話ではありません。

 最初に、「させることなき事ども」と断ってありますから、そのつもりで読むべきですが、それでもその一つ一つはいずれもあまりに「させることなき事」だという気がします。

 ①「馬芸」に心得があったこと、②『論語』の一句の在処を即答できたこと、③漢詩に心得があったこと、④能書家・行成についての知識があったこと、⑤仏教の言葉を知っていたこと、⑥加持香水の仕組みを承知していたこと、⑦女性の誘惑にだまされなかったことの七つが自慢されているのですが、どれを取っても単発的なエピソードの域を出ない、他愛のない話で、自分を語るというような広がりを感じさせるものはありません。

 あえてここから窺われる兼好を考えれば、博識であることはもちろんですが、しかしそれも書かれた範囲だけでは、古い例えで恐縮ですが「話の泉」的知識の域を出ないという気がします。
 最後の話はご愛敬という程度で、こんな他愛のないことを「自讃」としてわざわざ書き留めるのは、ずいぶんお人好しの人物ということになりそうです。

 彼が本気で誇りとすることは、おそらく和歌の世界のことで、二条家から古今集の家説を伝授されたこととか、勅撰集に採用されたことではないかと思われますが、そのことはすべて外して、ちょうど第百十七段で『論語』の「益者三友、損者三友」のパロデイを書いたように、ここは自讃の四番目、五番目以下から挙げて、遊びの場としたということなのではないでしょうか。

 ところで、これらを自讃と思わないで、誰か別の人がしたことが書いてあると思って読んでみると、それぞれの話は、独立させて本書の考証とか有職などの一段としてもよいような話で、それなりにおもしろく読めます。

 そうすると、さしずめ、①や⑥はその道を知れる人の話、⑦は笑い話です。

《原文》
御隨身 近友が自讚とて、七箇條かきとゞめたる事あり。みな馬藝(ばげい)、させることなき事どもなり。その例をおもひて、自讚のこと七つあり。
一、 人あまた連れて花見ありきしに、最勝光院の邊にて、男の馬を走らしむるを見て、「今一度馬を馳するものならば、馬 倒れて、落つべし、しばし見給へ」とて、立ちどまりたるに、また馬を馳す。とゞむる所にて、馬を引きたふして、乘れる人泥土の中にころび入る。その詞のあやまらざることを、人みな感ず。
一、 當代いまだ坊におはしまししころ、萬里小路殿(までのこうぢどの)御所なりしに、堀河大納言殿伺候し給ひし御(み)曹司へ、用ありて參りたりしに、論語の四・五・六の卷をくりひろげ給ひて、「たゞ今御所にて、紫の朱(あけ)うばふ事を惡むといふ文を、御覽ぜられたき事ありて、御本を御覽ずれども、御覽じ出されぬなり。『なほよくひき見よと』仰せ事にて、求むるなり」と仰せらるゝに、「九の卷のそこそこの程に侍る」と申したりしかば、「あなうれし」とて、もてまゐらせ給ひき。かほどの事は、兒どもも常のことなれど、昔の人は、いさゝかの事をもいみじく自讚したるなり。後鳥羽院の御歌に、「袖と袂と一首の中にあしかりなんや」と、定家卿に尋ね仰せられたるに、
   秋の野の草のたもとか花すゝき ほに出でて招く袖と見ゆらむ
と侍れば、何事かさふらふべきと申されたることも、「時にあたりて本歌を覺悟す。道の冥加なり。高運なり」など、ことごとしく記しおかれ侍るなり。九條相國伊通公の款状にも、ことなる事なき題目をも書きのせて、自讚せられたり。
一、 常在光院の撞鐘(つきがね)の銘は、在兼卿の草なり。行房朝臣 清書して、鑄型にうつさせんとせしに、奉行の入道、かの草をとり出でて見せ侍りしに、「花の外に夕をおくれば、聲百里に聞ゆ」といふ句あり。「陽唐の韻と見ゆるに、百里あやまりか」と申したりしを、「よくぞ見せ奉りける。おのれが高名なり」とて、筆者の許へいひやりたるに、「あやまり侍りけり。數行となほさるべし」と返り事はべりき。數行もいかなるべきにか、もし數歩(すほ)の意(こゝろ)か、覚束なし。
一、 人あまた伴ひて、三塔巡禮の事侍りしに、横川の常行堂のうち、龍華院と書ける古き額あり。「佐理・行成の間うたがひありて、いまだ決せずと申し傳へたり」と、堂僧ことごとしく申し侍りしを、「行成ならば裏書あるべし。佐理ならば裏書あるべからず」といひたりしに、裏は塵つもり、蟲の巣にていぶせげなるを、よく掃き拭ひて、おのおの見侍りしに、行成位署・名字・年號、さだかに見え侍りしかば、人みな興に入る。
一、 那蘭陀寺にて、道眼ひじり談義せしに、八災といふ事を忘れて、「誰かおぼえ給ふ」と言ひしを、所化みな覺えざりしに、局のうちより、「これこれにや」といひ出したれば、いみじく感じ侍りき。
一、 賢助僧正に伴ひて、加持香水を見はべりしに、いまだ果てぬほどに、僧正かへりて侍りしに、陣の外まで僧都見えず。法師どもをかへして求めさするに、「同じさまなる大衆多くて、え求めあはず」といひて、いと久しくて出でたりしを、「あなわびし。それ、もとめておはせよ」といはれしに、かへり入りて、やがて具していでぬ。
一、 二月(きさらぎ)十五日、月 明き夜、うち更けて千本の寺にまうでて、後より入りて、一人顔深くかくして聽聞し侍りしに、優なる女の、姿・匂ひ、人よりことなるが、わけ入りて膝にゐかかれば、にほひなどもうつるばかりなれば、敏あしと思ひて、すり退きたるに、なほ居寄りて、おなじさまなれば、立ちぬ。その後、ある御所ざまのふるき女房の、そゞろごと言はれし序(ついで)に、「無下に色なき人におはしけりと、見おとし奉ることなんありし。情なしと恨み奉る人なんある」と宣ひ出したるに、「更にこそ心得はべらね。」と申して止みぬ。
 この事、後に聞き侍りしは、かの聽聞の夜、御局のうちより、人の御覽じ知りて、さぶらふ女房を、つくり立てて出し給ひて、「便よくば、言葉などかけんものぞ。そのありさま參りて申せ。興あらん」とて、はかり給ひけるとぞ。
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