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第九十段「大納言法印の召し使ひし乙鶴丸、やすら殿といふ者を知りて」

 法印の「いづくへ行きつるぞ」という問からして、乙鶴丸の行動を知った上でからかって訊ねたものと読む方がおもしろく読めます。

 そうすると、以下の対話はすべてお互いがそれを承知しての座興ということになります。『全訳注』の、「袖かき合わせて」も乙鶴丸が「座興のためにわざとらしく恐縮し」てみせたのだとして「ここにあるのは、よそおわれた無邪気さであり、それが、稚児としての媚態となっている」という説明が分かりやすく、『集成』も同様の読み方です。

 そうすると「頭をば見候らはず」という返事に法印は大笑いしたことだろうと思われます。

 それは第八十六段からの笑い話五話の締めくくりに相応しい大笑いと言えるのではないでしょうか。

 これも『全訳注』の言っていることながら、この段は「き」記述になっていて、兼好もその座にいたということになります。彼もまた目の前での師弟の戯れ話を聞きながら「この対話の意味するものを察し」て、「などか、頭ばかりの見えざらん」とそれに興じているというわけです。


《原文》

 大納言法印の召し使ひし乙鶴丸、やすら殿といふ者を知りて、常にゆき通ひしに、ある時出(い)でて歸り來たるを、法印、「いづくへ行きつるぞ」と問ひしかば、「やすら殿の許(がり)罷(まか)りて候」と言ふ。「そのやすら殿は、男(おのこ)か法師か」とまた問はれて、袖かき合せて、「いかゞ候ふらん。頭をば見候はず」と答へ申しき。
 などか、頭ばかりの見えざりけん。



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第八十九段「『奥山に猫またといふものありて、人を食ふなる』と人の言ひけるに」

 第八十七段によく似た、人物描写に精彩のある滑稽譚です。

 「猫また」という化け物が出て人を襲うという噂話を、ある「連歌しける法師」が聞いて、「ひとり歩かん身は、心すべきことにこそ」と思います。
 この一言で、彼がいかに素直で生真面目な人であったか、を思わせます。

 彼が特に臆病だとかというわけではないでしょう。
 兼好のような写実家でさえ、第五十段にあるように、女が鬼になったという話を確かめにわざわざ人を遣ったような時代のことですから、ましてこの僧なら「猫また」を案じる気持ちになったのは無理もありません。

 そしてある夜、連歌の会の一人での帰り道に、心配したとおりに「猫また」が飛びかかってきて「頸のほどを食はんとす」となります。

 そのあとの彼の狼狽ぶりが、短い句を連ねて的確ですが、「防がんとするに力なく」がまた、いかにも優男の感じで、生真面目な男の肉付けになっています。

 さらに「助けよや、猫また、よやよや」と、化け物に呼びかけた言葉も同様に秀逸です。

 『全注釈』は末尾の一文によって「連歌師に対する同情、憐憫は、急速に軽蔑・冷視に変わってしまう」と言っていますが、兼好は前の二つの話や次の話同様に、別にそんな厳しい批判の目を向けているわけではなく、ここは、この生真面目な連歌師の、それ故の気の毒な笑い話として書いていると読むべきでしょう。

 それにしても、『全訳注』が、「『猫また』はこの段によって後世広く世に知られようになったが、この説話に即して見る限り、架空の怪獣である」ともっともらしく書いているのは、どういう意図なのでしょうか。この解説自体が何とも楽しく思われます。

《原文》

 「奧山に、猫またと云ふものありて、人を食ふなる」と人のいひけるに、「山ならねども、これらにも、猫の經あがりて、猫またになりて、人とる事はあなるものを」といふものありけるを、なに阿彌陀佛とかや連歌しける法師の、行願寺の邊にありけるが、聞きて、「一人ありかむ身は心すべきことにこそ。」と思ひける頃しも、ある所にて、夜ふくるまで連歌して、たゞ一人かへりけるに、小川(おがは)の端にて、音に聞きし猫また、あやまたず足もとへふと寄り來て、やがて掻きつくまゝに、頚のほどを食はんとす。肝心もうせて、防がんとするに力もなく、足も立たず、小川へ転(ころ)び入りて、「助けよや、猫また、よやよや」と叫べば、家々より松どもともして、走り寄りて見れば、このわたりに見知れる僧なり。「こは如何(いか)に」とて、川の中より抱き起したれば、連歌の賭物とりて、扇小箱など懷に持ちたりけるも、水に入りぬ。希有にして助かりたるさまにて、這ふ這ふ家に入りにけり。
 飼ひける犬の、暗けれど主を知りて、飛びつきたりけるとぞ。

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第八十八段「ある者、小野道風の書ける和漢朗詠集とて持ちたりけるを」

 花札の絵柄にもなっている書家で名高い小野道風の亡くなったのが西暦九六六年で、ちょうどその年に、『和漢朗詠集』の編者・藤原公任が生まれているようです。

 その『和漢朗詠集』の道風による写本を持っているというあり得ない話に対する「ある人」の、あまりにも丁重で慇懃な疑義の言葉が、まずそれだけで笑いを誘います。

 普通はこんなに気を遣ってものを言わなくてはならないような相手に、こういう疑義の言葉は言わないで、相手に合わせて流してしまうような気もしますが、この二人はどういう関係だったのでしょうか。あまりにも明らかなあり得ない話で、ついつい言ってしまったというところでしょうか。

 が、話がそこで終わらず、その本の持ち主は、「だからこそ珍しいというのだ」という驚くべき返事をして、おそらく、ものの分からない人に見せてつまらぬケチをつけられたと恨めしく思いながら、大事そうに抱えて奧に引っ込み、ついに「いよいよ秘蔵しけり」となったという結末は、ほとんど最上質の落語の種と言っていい話だと思われます。

 兼好自身、書きながらくっくと笑っていたことだろうと思います。

 この本の持ち主は、古典に対して深い敬意を持った、人のいい人に違いありません。
 『全訳注』が、そういう人に対して「だれかがいたずらをしたものか」と言っていますが、私は、そのように言い伝えられて、彼のような幾人かの人の手を渡ってきたものではないだろうかと想像します。

 そういう人たちが集まっての会話を想像したいからです。

 そういえば、私が子どもの頃に、月形半平太と月形竜之介とはどちらが強いかと、友だちと川土手を歩きながら大まじめに議論したことを思い出します。

《原文》

 或者、小野道風の書ける和漢朗詠集とて持ちたりけるを、ある人、「御相傳浮けることには侍らじなれども、四條大納言撰ばれたるものを、道風書かむこと、時代や違ひはべらむ、覺束なくこそ」といひければ、「さ候へばこそ、世に有り難きものには侍りけれ」とていよいよ秘藏しけり。



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第八十七段「下部に酒を飲まする事は、心すべきことなり」

 この段に読み方については『全注釈』の解説が的確で、冒頭の一文が、テーマとして示されているのではなく、後の話に興味を覚えさせる導入になっていて、それによって教訓説話ではなく人間を描いた話として成功しています。

 まず、主人公具覚坊が「なまめきたる」(「あらわに表現されず、ほのかで不十分な状態・行動であるようにみえるが、実は十分に心用意があり、成熟しているさまが感じとれる意『岩波古語辞典』)と、何とも皮肉に紹介されます。

 世慣れた彼は親戚が迎えによこした「下部」にもそれらしく振る舞おうと、迎えの労をねぎらって酒を振る舞います。

 「下部」は「さし受けさし受け、よよと飲み」(出かける前なのに随分飲ませたものです、「なまめきたる」わりに配慮が足りません)、具覚坊は「太刀うちはきて、かひがひしげ」な「下部」を「頼もしく覚えて、召し連れて」一緒に出かけます。

 道中、「下部」は出会った僧徒の一団に向かって突然、「あやしきぞ」と一人で太刀を抜きます。まるでドン・キホーテのような振る舞いですが、どうやら酔いが回ってきたらしく、出かける時の「かひがひし」く見えたのもそのせいだったかと知れて、粗野な男の横で、「なまめきたる」「遁世の僧」が慌てておたおたしている様子もおかしく、そこまでの道のほども思われて笑わずにはいられません。

 「なまめきたる」具覚坊の「酔っているので」という取りなしで僧徒はなんとか「嘲りて」通り過ぎてくれますが、すると「下部」は、今度はこともあろうにその具覚坊に向かって恥をかかせてくれたと「怒りて、ひた斬りに斬り落とし」てしまいます。

 こうなるとドン・キホーテと笑っているどころではありません。
 あまつさえ、彼は、山賊が出たと騒ぎ始め、「里人」が驚いて集まってくると今度は「俺こそその山賊だ」と刀を振り回す始末です。

 彼は里人に取り押さえられ、傷ついた馬が親戚の家に走り込んで、そのことが知れ、ことは収まりますが、具覚坊は「腰斬り損ぜられて、かたはになりにけり」というわけです。

 悲惨な話ではありますが、酔漢の変容ぶりが見事に描かれ、それが「なまめきたる」が故の好意から始まったことを思えば、何とも気の毒ながら、滑稽な話になっています。

 たった一行の教訓として終わってしまっては惜しい、生き生きとした描写が読み物です。

《原文》

 下部(しもべ)に酒のまする事は心すべき事なり。
 宇治に住みける男(おのこ)、京に具覺坊とて なまめきたる遁世の僧を、小舅(こじゅうと)なりければ、常に申し睦びけり。ある時、迎へに馬を遣したりければ、「遥かなる程なり。口つきの男(おのこ)に、まづ一度せさせよ」とて、酒を出したれば、さしうけさしうけ、よゝと飮みぬ。太刀うち佩きて、かひがひしげなれば、頼もしく覺えて、召し具して行くほどに、木幡の程(ほど)にて、奈良法師の兵士(ひょうじ)あまた具して逢ひたるに、この男立ち對(むか)ひて、「日暮れにたる山中に、怪しきぞ。止まり候へ」と言ひて、太刀をひき拔きければ、人も皆太刀抜き、矢矧(やは)げなどしけるを、具覺坊手をすりて、「現心(うつしごゝろ)なく醉ひたるものに候ふ。枉(ま)げて許し給はらん」と言ひければ、おのおの嘲りて過ぎぬ。この男具覺坊にあひて、「御坊は口惜しき事し給ひつるものかな。おのれ醉ひたること侍らず。高名仕(つかまつ)らんとするを、拔ける太刀空しくなし給ひつること」と怒りて、ひた斬りに斬り落しつ。さて、「山賊(やまだち)あり」とのゝしりければ、里人おこりて出であへば、「われこそ山賊よ」と言ひて、走りかゝりつゝ斬り廻りけるを、あまたして手負はせ、打ち伏せて縛りけり。馬は血つきて、宇治大路の家に走り入りたり。浅ましくて、男ども數多(あまた)走らかしたれば、具覺坊は、梔原(くちなしばら)にによひ伏したるを、求め出でて舁(か)きもて來つ。辛き命生きたれど、腰きり損ぜられて、かたはに成りにけり。


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第八十六段「惟継中納言は、風月の才に富める人なり」

 当時、三井寺の法師を寺法師と呼んでいたのですが、たまたまその寺が焼けた折りに、惟継が、知り合いのその寺法師の一人に、「寺はなければ、今よりは法師とこそ申さめ」と洒落たという話です。

 『全注釈』が「現代で言えば、社会的地位によって『大学の先生』とある人を呼んでいたのに、もっと前進して、直接、『先生』と心から呼びかけるごとき」と分かりやすく説明しています。

 そしてさらに当時延暦寺の法師を山法師と呼び、その二つの寺の間での確執がいかなる有様であったかについて詳細な解説があり、それにそって読むと、あなたはあの不純な環境からやっと解放されて仏道三昧に入れますねという挨拶であることが一層分かりやすく、惟継の円満で情味ある人柄とユーモアの心が彷彿とする、いい話になります。

 『全訳注』が中納言の言葉を「ただの冗談(虚言)」とか「『寺法師』という存在がありえなくなったことを諷する惟継の言はかなりきわどいもの」、あるいは「いささか憎まれ口のような趣を持ちながら」と、必ずしも円伊に対して好意的ばかりではなく、何か含む所があるように言っているのは、解せない気がします。

 『全注釈』が示唆するとおり、惟継は「一生精進にて、読経うちして」という人ですから、そういう人が自分の「同宿」する(同じ寺に住んで師事する)僧にむかって変な辛口のことは言わないものだと思われます。

 その惟継をそういうふうに紹介した兼好ですから、「秀句」という評は、そのままのレベルで好意的な意味で理解したものであり、それ以外のスパイスは混じっていないように思います。

 そして冒頭の「風月の才に富めるひとなり」もスパイス無しの評価でしょう。

《原文》

 惟繼(これつぐ)中納言は、風月の才に富める人なり。一生精進にて、讀經うちして、寺法師の圓伊僧正と同宿して侍りけるに、文保に三井寺焼かれし時、坊主にあひて、「御坊をば寺法師とこそ申しつれど、寺はなければ今よりは法師とこそ申さめ」と言はれけり。いみじき秀句なりけり。








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