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第七十段「元応の清暑堂の御遊に、玄上は失せにしころ」

二つ続いた、日ごろの行いの功徳の話から、日ごろの心がけの話へという連想による段であるように思われますが、前の二つに比べて非常に日常的な話で、小さい話という気がします。

 しかも『全注釈』によれば、こういう場合「そくひ」だけでなく、いろいろなものをあらかじめ備えとして準備しておくことは普通のことであったようです。
 もっとも、『全注釈』は、それでも「当然なすべきことをなすべきこととして用意し、無事に、確実にやり遂げたことが立派であったのである」と讃える段としています。

 実は、『全訳注』が「『諸注集成』(『徒然草諸注集成』田辺爵著・1962年)が注意するように、この段の描く御遊びのおりにもう一つ、より深刻な不祥事があった。拍子の任に当てられていた綾小路有時が、待賢門内において下馬したところを暗殺されたのである。」と書いています。

 そういうことがあったとすれば、この話は日ごろの心がけの大切さという一般的な話への関心だけではなく、この事件への、兼好の週刊誌的な関心もまた少なくなかったのではないでしょうか。
 もっともその『全訳注』も「(この事件性に)とらわれすぎて、故実に忠実であった兼季の心掛けへの感服を忘れないようにしたい」と言っていますが。

 大臣がいつもどおり怠りなく「そくひ」を持っていたという心がけの周到さは、連想の種にはなっているでしょうし、兼好としても一応の関心はそこにあったということになるでしょう。
 しかし、「柱を探られたりければ、ひとつ落ちにけり」というできごとにも少なくない関心を寄せているようにも思われます。
 このできごとが有時の事件とどういう関係があるのかは分かりませんが、兼好は、暗殺事件の同じ日に起こった奇怪なできごととしてこの話を書き残したからこそ、このあとに「衣被」の「意趣」だったようだという事情の説明が必要だったと考える方が分かりやすいと思われます。

 例えば、仮に本文中の「御懐にそくひを云々」と「いかなる意趣かありけん、云々」の各一文が前後入れ替われば、そのように読むのが普通のように思われます。
 そう思って読むと、前の二段ではそれぞれに主人公を称えているのに、ここでは、兼好は特別菊亭大臣を称えるといった言葉を挙げていません。

《原文》

 玄應の清暑堂の御遊に、玄上は失せにしころ、菊亭の大臣、牧馬を彈じ給ひけるに、座につきてまづ柱(ぢゅう)を探(さぐ)られたりければ、ひとつ落ちにけり。御懐(ふところ)に續飯(そくひ)をもち給ひたるにて付けられにければ、神供(じんぐ)の參るほどによく干て、事故(ことゆえ)なかりけり。

 いかなる意趣かありけん、物見ける衣被(きぬかづき)の、寄りて放ちて、もとのやうに置きたりけるとぞ。

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第六十九段「書写の上人は、法華読誦の功つもりて、六根浄にかなへる人なりけり」

 野菜が人に変じたという共通項で思い出された話でしょう。

 と言っても、先の話はいわば「鰯の頭も信心から」というところから生まれた奇譚であり、こちらは「六根浄にかなへる人」という歴とした人の逸話です。

 『全注釈』の言うとおり、「六根が清浄となるにふさわしくなった人」がその「霊妙な能力」によって、豆と豆殻との対話を聞き取ることができたという話で、「上人の霊妙な能力を具体化したまでであろう。それ以上にも(たとえば、骨肉相は食む世相を諷刺したとする)、それ以下にも(たとえば「七歩の詩」の換骨奪胎や剽窃なりとする)解するのは行き過ぎである」ということでしょう。

 もちろん、この豆と豆がらの対話は、曹植の「七歩の詩」そのままの話で、まさか兼好がそれを知らなかったとは信じられませんが、このようにそのことに何も触れずに書いているということは、おそらく世間で誰かが言い出して流布していた噂をそのままに書いたのでしょう。

 私たちにとっては、上人のことよりも、兼好にも意外な盲点があったということに驚かされる段です。

《原文》

 書寫の上人は、法華讀誦の功積りて、六根淨にかなへる人なりけり。旅の假屋に立ち入られけるに、豆の殻を焚きて豆を煮ける音の、つぶつぶと鳴るを聞き給ひければ、「疎からぬ己等(おのれら)しも、恨めしく我をば煮て、辛(から)き目を見するものかな」と言ひけり。焚かるゝ豆がらのはらはらと鳴る音は、「我が心よりする事かは。燒かるゝはいかばかり堪へがたけれども、力なきことなり。かくな恨み給ひそ」とぞ聞えける。

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第六十八段「筑紫に、なにがしの押領使などいふやうなる者のありけるが」

 ここから三段、説話的な話です。

 毎朝大根を「二つづつ」焼いて食べていた役人という設定は、第四十段の栗ばかり食べていた娘の話に似ていますが、大根と役人という取り合わせ、それも「二つ」という量感が、そちらにない滑稽感を添えています。

 また、大根に目鼻を付け、武具を身につけさせた、漫画絵の、いかにも実直そうな「兵」がイメージされて微笑まれます。

 この「二つづつ」について、『全注釈』は二切れとしていますが、二本が一般のようです。現実的には勿論二切れと考えるところでしょうが、「兵二人いで来て」となるためにも、また話のおもしろさから言っても、この役人のこだわりの大変な強さを強調することになるということからしても、二本説の方を採るべきです。

 もちろん、二本食べたと言っても、当時の大根はおそらく現代の高度に品種改良された大根のような大きさではなかったことでしょう。

 この段も終わりの「深く信をいたしぬれば、かかる徳もありけるとこそ」という教訓的まとめは余り信用しないで読む方がいいでしょう。
 次の段の話もそうですが、兼好の関心は、信仰の深さ自体に、ではなく、信仰の深さの結果生じたできごとの方にあるのだと思います。
 と言うより、特にこの話の場合、あまりに現実にはありえない話ですから、その荒唐無稽を和らげる意味でこの言葉を添えただけだと考える方が自然でしょう。

《原文》

 筑紫に、なにがしの押領使などいふやうなる者のありけるが、土大根(つちおおね)を萬にいみじき藥とて、朝ごとに二つづゝ燒きて食ひける事、年久しくなりぬ。ある時、館(たち)のうちに人もなかりける隙(ひま)をはかりて、敵襲ひ來りて圍み攻めけるに、館の内に兵(つわもの)二人出で来て、命を惜しまず戰ひて、皆追ひ返してけり。いと不思議に覚えて、「日頃こゝにものし給ふとも見ぬ人々の、かく戰ひしたまふは、いかなる人ぞ」と問ひければ、「年來(としごろ)たのみて、朝な朝な召しつる土大根らに候(そうろう)」といひて失せにけり。

 深く信を致しぬれば、かゝる徳もありけるにこそ。


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第六十七段「賀茂の岩本・橋本は、業平・実方なり」

前の段の終わりに『伊勢物語』を挙げた連想で書かれたということのようですが、単なる言葉の繋がりと考えるよりも、『全訳注』が橘純一説を挙げて言っている「同じく故実を知るものながら、『断然たる態度で言ひ放った』武勝に対して、『恭謙な態度』の老神官を出し、そこに対照の妙をねらったのかと思われる」という見方の方が自然なように感じられますし、面白くも思われます。

『全訳注』はさらに、「(宮司の説明によって)ますます不得要領になったといえないこともない。しかし、兼好はその問題を深追いせず、この神官の好ましい人柄を見て感心し」たのだと言っていますが、兼好自身は神官の説明で彼なりに納得して、説明が納得する内容だった上に態度も謙虚で好ましかった点を「いみじく」思ったのではないでしょうか。

兼好が「いみじく覚えしか」と言ったのは、宮司の答えの内容についてではなく、直前の「いとうやうやしく言ひたりし」という態度についてだけというのでは、「うやうやしく」の一言だというのが落ち着かない気がします。

また、その「うやうやしく」の内容を、宮司の「おのれらよりは、なかなか御存知などもこそは候はめ」を中心としているのだとすると、それでは兼好の自賛のようにも読めて、それも気になります。

前段の武勝と同様にきちんとした説明だと、少なくとも兼好は思い、その上で態度が対照的で、いずれも好ましかったという話と考える方が自然ではないかという気がします。



《原文》
 賀茂の岩本、橋本(=共に社の名前)は、業平・實方(=藤原實方)なり。人の常にいひ紛(まが)へ侍れば、一年(ひととせ)參りたりしに、老いたる宮司の過ぎしを呼び止(とゞ)めて、尋ね侍りしに、「實方は、御手洗(=参詣人が手を洗ふ所)に影の映りける所と侍れば、『橋本や、なほ水の近ければ』と覺え侍(はべ)る。吉水和尚の、

   月をめで花をながめし古(いにしえ)の やさしき人は こゝにあり原

と詠みたまひけるは、岩本の社とこそ承りおき侍れど、己(おのれ)らよりは、なかなか御存じなどもこそさぶらはめ」と、いと忝(うやうや)しく言ひたりしこそ、いみじく覺えしか。
 今出川院近衞(いまでがわのいんのこのえ)とて、集(しゅう)どもにあまた入りたる人は、若かりける時、常に百首の歌を詠みて、かの二つの社の御前の水にて書きて手向けられけり。誠にやんごとなき譽ありて、人の口にある歌多し。作文・詩序などいみじく書く人なり。


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第六十六段「岡本関白殿、盛りなる紅梅の枝に、鳥一双を添へて、この枝に付けて参らすべきよし」

 時代の変化に批判的な目を向けた段が続いてきたあとに、故実を厳しく守ろうとする人のいることを語った段です。

 第一段落は「けり」叙述で、第二段落は「き」叙述ですから、関白と武勝のやりとりがあったという話を聞いた兼好が、その後に武勝から直接彼の知る故実を聞いたということになります。

 まずは第五十一段と同じく「その道を知れる者は、やんごとなきものなり」という話であるわけですが、この場合はそれに加えて、まず第一段落は「ふとした思い付きによる関白の指示に対し、自分の知る作法をたてにして従わない武勝の毅然とした姿、彼に一目置いてその所見に従って行動させる家平の謙虚さ…等々が鮮やかに印象に残る。」(『全訳注』)という話になっています。
 その武勝の姿は、稟たること、あたかも鷹に通うがごときものがあると思わせます。

 そして兼好は第二段落の武勝の話を聞き、彼の関白に対する「毅然とした姿」が、どれ程精細な知識を背景としたものだったかを知り、感動してこれを書き残したということなのでしょう。

 鳥柴の持参の仕方の話は、『全注釈』の言うように「『花に鳥を付けず』という本段の主題とはやや距離がある」のですが、兼好がそこまで武勝の話を書いたことで、彼の関心が、単に故実にあるだけではなく、むしろ武勝の知識の精細さにあったことを裏付けていると言えるように思います。

 武勝の終わりの一言「あまおほひの毛を散らすことは、鷹はよわ腰を取ることなれば、御鷹のとりたるよしなるべし」は、いかにも会話らしくその語調まで聞こえるようですし、また同時に彼が故実を単に知っているというだけでなく、絶えずその由縁を考えながら故実を守っていたのであろうことを思わせて、ゆかしい感じがします。

 終わりに兼好は二つの疑問を提示していますが、それによって、前の武勝の言葉がきっちりと独立してひとまとまりの故実として定着した趣が生じているように感じられます。
 筆者の格別意図したことではないでしょうが、不思議な効果です。

 もっとも、「作り枝に雉」についての疑問の方は、『古典』の言うように兼好の「読みちがえ」と言うしかないでしょうが。

《原文》
 岡本關白殿、盛りなる紅梅の枝に、鳥一雙を添へて、この枝につけて參らすべき由、御鷹飼、下毛野武勝(しもつけの たけかつ)に仰せられたりけるに、「花に鳥つくる術、知り候はず、一枝に二つつくることも、存じ候はず」と申しければ、膳部に尋ねられ、人々に問はせ給ひて、また武勝に、「さらば、己が思はむやうにつけて參らせよ」と仰せられたりければ、花もなき梅の枝に、一つ付けて参らせけり。
 武勝が申し侍りしは、「柴の枝、梅の枝、つぼみたると散りたるに付く。五葉などにも付く。枝の長さ七尺、あるひは六尺、返し刀五分に切る。枝の半(なかば)に鳥を付く。付くる枝、踏まする枝あり。しゞら藤の割らぬにて、二所付くべし。藤の先は、火うち羽(ば)の長(たけ)に比べて切りて、牛の角のやうに撓(たわ)むべし。初雪の朝(あした)、枝を肩にかけて、中門より振舞ひて参る。大砌(おほみぎり)の石を傳ひて、雪に跡をつけず、雨覆ひの毛を少しかなぐり散らして、二棟の御所の高欄によせ掛(か)く。祿を出(い)ださるれば、肩にかけて、拜して退く。初雪といへども、沓のはなの隱れぬほどの雪には参らず。雨覆ひの毛を散らすことは、鷹は、弱腰を取ることなれば、御鷹の取りたるよしなるべし」と申しき。
 花に鳥付けずとは、いかなる故にかありけん。長月ばかりに、梅のつくり枝に、雉を付けて、「君がためにと折る花は時しもわかぬ」と言へること、伊勢物語に見えたり。造り花は苦しからぬにや。

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