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第三十段「人のなきあとばかり悲しきはなし」

 この段は、前の三段と違って、冒頭の主題と後の本題の叙述がきちんと照合した、よく整った段です。
 そしてそれだけではなく、本題も、人の死から完全な消滅まで、冷徹に順を追ってよく事の顛末の意を尽くしており、それに沿って文章も一筋に流れるように自然で、それが「書き進むにつれて急速に加速度が付く書き方」(『兼好』)で、その一気の呼吸自体がこの世の無常迅速を感じさせるものがあります。

 「全体的に、極めて感傷的、心情的な筆致で続けているが、部分的には、かなり急所をついた人生の剔抉があり、事実の冷酷な描写がちりばめられている」(『全注釈』)という評がありますが、私は逆に、この評の後半が主たる視点で、それが流れるように書かれた結果、「感傷的、心情的」な印象を持たせることになっているに過ぎないように思います。

 「流れるよう」という点で、作中、屈指の名文です。
 どの部分をとっても的確な表現、描写だと思われますが、私見のまま順にいくつかを挙げたいと思います。

 「便あしくせばきところにあひゐて」は、人間という生き物が死という避けられないさだめの前に無力にうごめいている姿を思わせます。

 「はての日は、いと情けなう、たがひに言ふ事もなく」は、葬儀の時ほどの悲劇性はなく、さりとて話題には制約のある中に集まった人々の気まずい静けさがよく感じられます。

 続く「我かしこげに物ひきしたため、ちりじりに行きあかれぬ」は残った人々が現実という世界に帰って行く姿を巧みに表していると言えましょう。「我かしこげに」という一言が、人というもののどうしようもない小ささを際だたせています。

 『全訳注』が「この時代は、『極楽往生』などの用語に示されるような死後への幻想が支配的であった」と言っていますが、そうであれば、後半の叙述から最後の「そのかただになくなりぬるぞ悲しき」と結ばれるくだりは、当時の人々にとっては衝撃的なものであったかも知れません。

 ところで『徒然草』の執筆時期について、『集成』は、第二十四段から第二十五段の間におよそ十年、この第三十段から次の第三十一段の間にまたおよそ十年の中断期間を想定しています。

 ちなみに、『全注釈』は第三十二段で、『兼好』は第三十八段で大きな一区切りがあると見ていますが、私はここで区切るのがよさそうに思います。
 確かにここまでの三十段全体で兼好は自分の思い、考えを中心に語っているといってよいと思われますし、その内、第二十五段から第三十段までは明確に無常観を基底とした一連の内容と言える面があるのに対して、次の第三十一段からは、明らかに人を描くことが多くなるという点で大きな変化があるように思います。

 ともあれいずれにしても、この前後が『徒然草』の大きな分岐点であることは間違いないようです。

《原文》

 人の亡き跡ばかり悲しきはなし。
 中陰(ちゅういん)の程、山里などに移ろひて、便りあしく狹き所にあまたあひ居て、後のわざども營みあへる、心あわたゞし。日數(ひかず)の早く過ぐるほどぞ、ものにも似ぬ。はての日は、いと情なう、互にいふ事もなく、我かしこげに物ひきしたため、ちりち゛りに行きあかれぬ。もとの住家にかへりてぞ、さらに悲しきことは多かるべき。「しかじかの事は、あなかしこ、跡のため忌むなる事ぞ」などいへるこそ、かばかりの中に何かはと、人の心はなほうたて覺ゆれ。
 年月經ても、露(つゆ)忘るゝにはあらねど、去るものは日々に疎しといへる事なれば、さはいへど、その際(きは)ばかりは覺えぬにや、よしなし事いひてうちも笑ひぬ。骸(から)は、けうとき山の中にをさめて、さるべき日ばかり詣でつゝ見れば、程なく卒都婆も苔むし、木の葉ふり埋みて、夕の嵐、夜の月のみぞ、言問ふよすがなりける。
 思ひ出でて忍ぶ人あらむほどこそあらめ、そも又ほどなくうせて、聞き傳ふるばかりの末々は、哀れとやは思ふ。さるは、跡とふわざも絶えぬれば、いづれの人と名をだに知らず、年々の春の草のみぞ、心あらむ人は哀れと見るべきを、はては、嵐にむせびし松も、千年を待たで薪にくだかれ、ふるき墳(つか)はすかれて田となりぬ。その形(かた)だになくなりぬるぞ悲しき。


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第二十九段「しづかに思へば、よろづに過ぎにしかたの恋しさのみぞせんかたなき」

 この「せんかたなき」とはどういう気持ちでしょうか。

 ことば通りに訳せば、「何ともしようのないものだ」(『集成』)というようなことですが、無味乾燥で、どうも気持ちのこもらない訳です。

 『全訳注』の「胸がいっぱいになる」がいいと思いますが、「しようのない」について、口語訳としては長すぎますが、さらに「思ってみても今更取り返しが出来るわけでもないのに、あの頃に帰りたい思いがむやみに湧き上がってきてやまず、懐かしさがこらえようもなく」というようなことをぜひ付け加えたいところです。

 それにしても、ここもまた「よろづに」と言い出しておきながら、後続の内容は「なきひとの手ならひ、絵かきすさびたる」や「文」に限定された話題で、しかも『枕草子』『無名草子』が既に取り上げたものだということが、物足りない思いを持たせます。

 『兼好』はこのあたり一連の段の文章を「何と流麗で細緻であることか」と絶賛していますが、私には、例えば『無名草子』が「なき人の書きたるもの」について「ただ今、筆うちぬらして書きたるやうなるこそ」と書いて、手紙の実在感とそれを見つめる筆者のまなざしを表現したリアリテイの方がまさっているように思われます。

 ただ、段末の一文、「手なれし具足なども、心もなくて変わらず久しき、いとかなし」は先行の作品には挙げられていない兼好の発見であって、とりわけ「心もなくて」が、そのおかれている有様、それを眺めている兼好の姿まで一語にして彷彿させて、鋭く的確です。

《原文》

 靜かに思へば、よろづ過ぎにしかたの戀しさのみぞせむ方なき。
 人しづまりて後、永き夜のすさびに、何となき具足とりしたゝめ、殘し置かじと思ふ反古など破りすつる中(うち)に、亡き人の手習ひ、繪かきすさびたる見出でたるこそ、たゞその折の心地すれ。このごろある人の文だに、久しくなりて、いかなる折り、いつの年なりけむと思ふは、あはれなるぞかし。手なれし具足なども、心もなくてかはらず久しき、いと悲し。

 
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第二十八段「諒闇の年ばかり、あはれなる事はあらじ」

 『全訳注』の言うとおり、「ばかり、あはれなる事はあらじ」というふれこみのわりに、「あはれ」という感想の内容は語られていません。
 
 以下に具体的に挙げられるのは、宮中がいつもの貴族的な華やかさや優雅さを一切そぎ落として、「あらあらしく」「おろそかに」「ことやうなる」光景で、質朴なだけの気配であることを描いています。

 無常を語ったというよりももっと別の、尋常ならざる光景への戦きのようなものが感じられる段で、最後の「ゆゆし」という言葉がまことに印象的です。

《原文》

 諒闇(まことにくらし=天子の喪)の年ばかり哀れなる事はあらじ。
 倚廬(いろ)の御所のさまなど、板敷をさげ、葦の御簾(みす)をかけて、布の帽額(もこう)あらあらしく、御調度ども疎(おろそ)かに、みな人の裝束(さうぞく)、太刀、平緒まで、異樣なるぞゆゝしき。
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第二十七段「御国ゆづりの節会おこはれて、剣・璽・内侍所わたし奉らるるほどこそ」

 前の段が男女の間のことであったのに対してこちらは主従の間のことで、「御国ゆづりの節会」の当日の、譲位する側の思いを語っていきます。

 ただ、「剣・璽・内侍所わたし奉らるるほどこそ」と言っておきながら「心ぼそけれ」だけで終わって具体的な内容が全く語れず、すぐに次の話題に移っているのは、読むものとしては物足りない感じがぬぐえません。

 「新院」の歌は、人気のない新院のさまが詠まれていますが、前段で言った囲碁の終局図を見る敗者の思いであり、最後はそういう屋敷の様を見る第三者の気持ちというわけです。

 「かかる折りにぞ、人の心もあらはれぬべき」は、一応は「批判的感情」(『全注釈』)ではあるにしても、「離れて客観視している、遁世者・兼好の心情」(同)として考えれば、前段の「さること侍りけん」と同様に、むしろ現世を重いものを背負って生きるしかない人間への、またはそういう人間としての、溜息と言うべきではないでしょうか。

《原文》
 御國ゆづりの節會行はれて、劒(けん)・璽・内侍所わたし奉らるゝほどこそ、限りなう心ぼそけれ。
 新院のおりゐさせ給ひての春、よませ給ひけるとかや、
   殿守の伴のみやつこ(御奴)よそにして はらはぬ庭に花ぞ散りしく
今の世のことしげきにまぎれて、院にはまゐる人もなきぞ寂しげなる。かゝるをりにぞ人の心もあらはれぬべき。


 それもまた「風も吹きあへずうつろふ人の心の花」(前段)であるわけです。
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第二十六段「風も吹きあえずうつろふ人の心の花に、なれにし年月を思へば、」

 将棋は終局図を見ても敗者の悪手は見えないが、囲碁の終局図には悪手の跡がありありと見えて敗者にとっては辛いと聞いたことがあります。
 
 愛し合うものにとって死別に勝る悲しみはないというのが普通の感じ方ですが、兼好は生別の方が「なき人の別れよりもまさりて悲しきものなれ」と言います。

 考えてみれば「去る者は日々に疎し」で、死者への思い出は、人の力ではもはやいかんともしがたい絶対的な別れなのですから、その悲劇性が生み出す甘美さを伴うこともできます。
 
 しかし、愛する者どうしの生き別れというのは、あくまでも人の世の相対的なできごとで、決定的に遮断するものがないだけに、二人の間に現れた、結局は移ろいやすい心というしかない「悪手」の記憶が、いつまでも思い出の前面に浮かび出て、思いから後悔という苦い悲しみの影が消えません。

 諸注は、この段の話の背景には、兼好の実体験があるのだろうとしています。
 『全注釈』はその上で、この段の文章を「しみじみと余響深く、しかも実質的な文体は、兼好のことばを駆使する感覚の鋭敏さ・確実さを思わしめずにはおかない。愛唱されるのももっともである」と讃え、「故風巻景次郎氏が、かつて、対談中、この段を激賞されたことを思い出す」と書いています。

 文章については全くそのとおりですが、しかしその実際の思い自体は、兼好にとって決してこの文章のように流麗なものではなく、索漠たる自己嫌悪の影を伴っているに違いないように思います。

 以下、三十段まで、無常ということを下敷きにした段が続きます。

《原文》
 風も吹きあへず移ろふ人の心の花に、馴れにし年月をおもへば、あはれと聞きし言の葉ごとに忘れぬものから、我が世の外になり行くならひこそ、亡き人の別れよりも勝りて悲しきものなれ。
 されば白き絲の染まむ事を悲しび、道の衢(ちまた)のわかれむ事を歎く人もありけんかし。堀河院(ほりかはのいん)の百首の歌の中に、
   むかし見し妹が垣根は荒れにけり 茅花(つばな)まじりの菫のみして(=藤原公實の歌)
さびしきけしき、さること侍りけむ。
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