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第百八十段

「左義長」というのは、現在では「とんど焼き」(当地では「とんどさん」と言います)の別名と見なしてよいように使われていますが、不思議な言葉で、何のことだろうと思わせます。

ここで語られる「左義長」は、『全注釈』が「さぎちやう」の考証の結果、および「現に行われている行事について、このように特筆する必要があったとは思われない」などの理由で、結論的に「兼好当時よりもやや古い時代の風習を始源としてかく記しておいたものと考えられる」と書いています。

この頃からすでに、その行事の名前の由来などが曖昧だったということなのでしょう。

そして現在では、その言葉が忘れられるどころか、その行事そのものが、どんどん行われなくなって来ているようです。

田圃の隅の空き地で行われている「とんど焼き」を見ると、いかにも古い日本の正月の風景を見るようで、都会ではもちろん、地方でもちょっと大きな街になったらできないことだろうと思います。

そういうふうにして無くなっていった行事が一体どれほどあるでしょうか。

いや、そう考えるよりも、千年近くも前にすでに由来も意味も曖昧になっていた行事が、今もなおあまり変わらない形で細々とながら行われているということの方に感慨を持つべきでした。

《原文》
さぎちゃう は、正月(むつき)に打ちたる毬杖(ぎぢゃう)を、真言院より神泉苑へ出して燒きあぐるなり。「法成就の池にこそ」と囃すは、神泉苑の池をいふなり。

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第百七十九段

 一読、上人の問題意識がどこにあるのか、よく分からない話ですが、『全訳注』が「この聖が…しきたりどおりに自分の寺の大門を南向きにしつつ、不安が残ったためであろう」と書いています。

 『全注釈』によれば『古事談』に、江帥(大江匡房)が「北向きの大門有るの寺は、天竺には奈良陀寺(那蘭陀寺)、唐土には西明寺、此朝には六波羅蜜寺云々」と言ったとあるそうですが、現在では「三寺いずれについても文献的に裏付けられず、疑問が持たれる」(『全訳注』)ようです。

 ただ、上人自身「唐土の西明寺は北向き勿論なり」と言っているのですから、上人の「不安」は理解できます。
そして上人の匡房批判の言葉はむきになっているような非常にきつい調子に感じられて、かえって彼の、誰かに語らずにはいられないといった不安の強さを物語っているようにさえ思われます。

 上人は匡房の言葉を那蘭陀寺ができあがった後に知って、困っていたのではないでしょうか。

 立派な上人なのでしょうが、思いがけぬ世俗的な一面が感じられます。

 上人の話に対する兼好の考えは書かれていません。

 『全訳注』は「消極的賛成」だったのではないかとしていますが、「賛成」というよりも、知り合いの気持ちをおもんばかって、むしろ世俗向けの広報として書きとどめたのではないかという気がします。

《原文》
入宋の沙門、道眼上人、一切經を持來して、六波羅のあたり、燒野といふ所に安置して、殊に首楞嚴經(しゅりょうごんきょう)を講じて、那蘭陀寺と號す。その聖の申されしは、「那蘭陀寺は大門北向きなりと、江帥(ごうそち)の説とていひ傳へたれど、西域傳・法顯傳などにも見えず、更に所見なし。江帥はいかなる才覺にてか申されけん、覚束なし。唐土の西明寺は北向き勿論なり」と申しき。
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第百七十八段

 「忍びやかに言ひたりし」が全ての段です。

 兼好は、人の間違いを指摘したり、あるいは教えたりする時の態度として、「忍びやかに」ということを最も大切と考えているようで、これまで幾度か同様の話がありました。第百一段、百二段は文字通りその言葉で語られています。また六十七段の老宮司の「うやうやしく言ひたりし」も似た態度でしょう。

 もっとも同じ「忍びやかに」言ったのであっても、ここでは「侍ども」に向かって言ったというわけではなく、

 「女房」のまったくの独り言のようで、それを兼好がたまたま耳にしたということなのでしょう。

 その時、兼好が「別殿の行幸には(「宝剣」ではなくて)昼御座の御剣」だと知っていたなら、「心にくかりき」とまでは思わないのではないでしょうか。

 彼にとって思いがけないことを知ったことの喜びと感動(と言うと少し大袈裟ですが)があって、かつ、それが「忍びやかに」言われたからこそ、感心したのだと思います。

 彼の知識欲(好奇心)の強さを表してもいる話です。

 逆に、公衆の中で人を面罵した話が、第百十四段の気むずかしい貴族と、百六段の生真面目すぎる上人の話で、こういうタイプは兼好によって滑稽に描かれます。

 第七十九段には「よくわきまへたる道には、必ず口重く、問はぬ限りは言はぬこそいみじけれ」とありました。

《原文》
ある所の侍ども、内侍所の御(み)神樂を見て、人に語るとて、「寶劒をばその人ぞ持ち給へる」などいふを聞きて、内なる女房の中に、「別殿の行幸には、晝御座(ひのござ)の御劒(ぎょけん)にてこそあれ」と忍びやかに言ひたりし、心憎かりき。その人、ふるき典侍なりけるとかや。
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第百七十七段

 今度は故実の話です。が、これも一筋縄ではいきません。

 雨上がりの庭で蹴鞠をするのに鋸屑をまいて妙案と讃えられたという鎌倉での話を、都の人が聞いて、乾いた砂を用意していなかったのかとけなしたという話で、兼好もそう言えばそうだと思ったようです。
ところが、これも『全訳注』ですが、『蹴鞠之目録九拾九ヶ条』というものに、「庭のしめりすぎたるときは、大鋸くづを用意」とあるのだそうです。

 『全訳注』は前半について「東国の知識人のふるまいを都の知識人があげつらったもので、…小姑根性のようないやらしさが感じられなくもない」と言っていますが、鋸屑を使うのが故実だとなると、この吉田中納言という人は『九拾九ヶ条』のことを知らないでケチをつけたのか、知っていながらそうと言わないでことさらにケチをつけたのか、ということが気になります。

 鎌倉での話なら知っていながらだったとも考えられますが、前半と後半の部分は助動詞「けり」と「き」が使い分けられているところを見ると、後半は都での話なのでしょう。
 すると、都人の仲間内の話ということであり、知らないで言ったことと考える方がよさそうです。

 兼好は、人づてながら「乾き砂をまうくるは、故実なりとぞ」と、その尻馬に乗った形で書いてしまったことになります。

 しかし、乾いた砂を用意するとは、それはまたあまりに当然のことで、『全訳注』の言うとおり、「故実」というに値しないのではないかという気がして、本当に「故実」としてあったのだろうかと思ってしまいます。

 結局、前半だけならおもしろい話ですんだのに、後半が書かれたために、都人は味噌をつけるし、兼好も軽くなるしで、何か、兼好の書くつもりではなかった、彼自身の思いがけない人の好さが現れた段とも言えます。

《原文》
鎌倉の中書王にて御鞠ありけるに、雨ふりて後、未だ庭の乾かざりければ、いかゞせむと沙汰ありけるに、佐々木隱岐入道、鋸の屑を車に積みて、多く奉りたりければ、一庭に敷かれて、泥土のわづらひ無かりけり。「取りためけむ用意ありがたし」と、人感じあへりけり。
 この事をある者の語り出でたりしに、吉田中納言の、「乾き砂子の用意やはなかりける」とのたまひたりしかば、恥しかりき。いみじと思ひける鋸の屑、賤しく、異樣のことなり。庭の儀を奉行する人、乾き砂子をまうくるは、故實なりとぞ。
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第百七十六段

 前の段から一転して考証の話で、清涼殿黒戸の御所の名前の由来を語っています。

 「まさな事」をした、とは、光孝帝が自炊をしたということで、その煤で戸が黒くなったのでそう呼ぶようになったというのです。

 帝が自炊をするなど、私たちには想像を絶することですが、『全訳注』が、「光孝天皇は、…老齢で突然帝位に就かれた。即位に先立っては、きわめて貧しく、後任たろうとして色めく他の親王と違ってひとり、破れた御簾のうちで縁のほころびた畳に座し、…即位後、借用された物の返済を求めて町人たちが参内して責め立て申したとかいう説話」が『古事談』にあると書いています。

 そして同書はさらに「光孝天皇は即位後もつつましさを失わず、自分を選んだ基経を関白としてそれをたてつづけたという。治世はわずか四年に過ぎないが、その四年への人々のなつかしみがこの黒戸をめぐる伝承にいきづいているようである」とも書いています。

 みんな引用になってしまいましたが、この段のそれ自体は確証のあることではないらしい短い話の背後に、一人の人の思いがけない生き様と、周囲の温かい思いがあったことが知られて、心に残ります。

《原文》
黑戸は、小松の御門位に即かせ給ひて、昔唯人(たゞびと)に坐(おはしま)しし時、まさな事せさせ給ひしを忘れ給はで常に營ませ給ひける間なり。御薪(みかまぎ)に煤けたれば黑戸といふとぞ。
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