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第百七十段

 三つの段落になっています。

 初めの段落は、第百六十四段でも触れた、最も一般的な心得です。こういうふうに言われると、素直になるほどと思うことができます。
 やはり『荘子』の心得でしょう。
 「友」というより「親しい知人」という方が、べったりした感じがなくていいような気がする付き合いです。

 第二段落の初めの数行は先の百六十四段の繰り返しですが、その後に「同じ心に向かはまほしく思はん人の」以下があって、ほっとします。
 兼好はこういう時のなにげない話し言葉が大変巧みで、しばしばその場の雰囲気が鮮やかに感じとられ、その声が聞こえるようでな気がするのは私だけではないでしょう。
 ここも「まあいいじゃありませんか、もう少し話していって下さい」という言葉が、決してただの世辞や愛想だけではなく、と言って、強いてねだるでもない調子で、客の方も気軽に「そうですね、そうさせてもらいましょうか」と言えそうなその場の二人の様が感じられるような気がします。

 第三段落は第一段落と全く逆のことをいっているわけですが、不思議なことに第一段落と同じように素直にそうだと思われる以上に、本当にこのような交友があったら、どんなによいだろうと思われます。

 第一段落のように心がけている気むずかしい人のところに、このようにやって来る人はなかなか無さそうで、しかし案外あるものかも知れません。

 『全訳注』が「この段の基調になっている二つの感情、つまり、孤独な閑暇への志向と人懐かしさは隠者文学によく見られるものである」と言っていますが、この一見矛盾した思いが心の中で表裏して一体であるところが、この段を読む者に切なさと感動をおぼえさせるように思います。

 「淡きこと水の如し」と言っても、無色透明でただ流れる如くだというのではなく、そこには澄んだうるおいがあるのです。

 大切な点は、第一段落のような厳しい戒律を自分に課している人だからこそ、第三段落のような訪問や手紙を「いとうれし」と感じるのであって、それがなければ、それらは普通の訪問者に過ぎないということです。

《原文》
さしたる事なくて人の許(がり)行くは、よからぬ事なり。用ありて行きたりとも、その事果てなば疾く歸るべし。久しく居たる、いとむつかし。
 人と對(むか)ひたれば、詞多く、身もくたびれ、心も靜かならず、萬の事さはりて時を移す、互のため益なし。厭はしげにいはむもわろし。心づきなき事あらん折は、なかなかその由をもいひてん。同じ心に向はまほしく思はん人の、つれづれにて、「今しばし、今日は心しづかに」などいはんは、この限りにはあらざるべし。阮籍が青き眼(まなこ)、誰もあるべきことなり。
 その事となきに、人の來りて、のどかに物語して歸りぬる、いとよし。また文も、「久しく聞えさせねば」などばかり言ひおこせたる、いと嬉し。

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第百六十九段

 「ある人」が「何事の式」(何々のやり方)という言葉は後嵯峨天皇時代(一二四二年以後)に使うようになった言葉だと言ったことについて、兼好が「建礼門院右京大夫集で、後鳥羽院の時代(一一八三年以後)のことを言うのに使っている」と思った、いう段です。

 前の段の「知らぬ事、したり顔に、おとなしく、もどきぬべくもあらぬ人の言ひ聞かするを『さもあらず』と思ひながら聞きゐたるも、わびし」という気持ちで書いたのでしょう。

 言葉を考証しているわけですが、実は『建礼門院右京大夫集』のどの本にも、その部分は「しき」ではなく「けしき」とあるのだそうですし、文意の上からも「けしき」の方が通りやすいところだと思われます。

 兼好の方が間違っていたということであり、もし後で気が付いたのだったら、彼も脂汗をかいたことでしょう。その場で口に出して言わなくてよかったことでした。
 兼好の考証は、第百五十八段(盃の底の話)や百五十九段(ミナ結びの話)など、どうも眉唾だったりすることが少なくないようです。

 「式」のそういう用例は『全注釈』によれば、一二三八年、一二四六年、一二八五年の文献にあることが分かっているのだそうです。大変な考証で、先達の苦労に頭が下がります。

 しかし残念ながら、それ以前には使われていなかったかどうかまでは、まだわかっていないそうです。

 私事ですが、昔、漱石の『こころ』の「先生の遺書」のうちのKが死ぬ話の部分を教材として研究授業をしたことがあります。その夜、数人の仲間が慰労会をしてくれて、飲みながらの話で、Kの自殺した理由が話題になりました。それはKの孤立感からではないかというような話を暫くの間行き来しているうちに、一人が「やはり、ずっと後の方で『先生』が言っている『さもしい』気持ちというのを考えなくてはなるまい」というようなことを言いました。私は確かにそういう言葉があったような気がして、大事な点なのにそれに思いを致さなかった不明を恥じる気持ちで黙ってしまうしかありませんでした。他の仲間も、なるほどといった雰囲気で、その晩のその話はそれで終わってしまいました。
 ところが後日確かめてみると、それは「さもしい」ではなくて「淋しい(さむしい)」であることが解り、それならあの時の会話はいい方向に進んでいたのではなかったかと、再び恥ずかしい気持ちになったことがあります。
大事なところの小さな記憶違いと教材研究の不足で残念な結果になった、笑い話です。

《原文》
「何事の式といふ事は、後嵯峨の御代迄はいはざりけるを、近き程よりいふ詞なり」と、人の申し侍りしに、建禮門院の右京大夫、後鳥羽院の御位(みくらい)の後、また内裏住みしたることをいふに、「世の式も變りたる事はなきにも」と書きたり。

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第百六十八段

 前の段とこの段、そして一つ跳んで第百七十段と、処世の話が並んでいますが、どれも単なる処世の域を超えて、人の心のひだを捉えていて、小さな人生論といってよい、胸に沁みる意見です。

 この段は老年の美しいあり方を語って余すところがないという気がするほど、老年の私には、身に覚えのある、大切な心得の話だと思います。

 私は、もとより「この人の後には、誰にか問はん」と言われるような何ものも持ち合わせませんが、それでも折々みずから「すたれたる所なき」を感じることがあって、後でひとり自分に辟易することがあります。

 自分がそれなりに長い年月を生きてきたという思いがあって、その中でいささかながら身につけたもの、感じとったものには、いくらかの意味もあろうかと思い、また愛着もあって、ついつい語りたくなってしまいます。
 特に黙って聞いてくれる若い人がいて、酒など入ると、心していても止まらなくなって、あとで思い返して脂汗をかくことになります。

 日ごろ、若い人の姿・振る舞いを見ていて、自分もあのころはそうであったが、教えてくれる人があればもう少しまともに振る舞ったかも知れないといった悔いが一緒になって、それなら伝えておくことも、あながち意味のないことではあるまいなどと、その時は独り合点をして、あるいは語るための自己弁明をして、ついついしゃべり始めてしまって、そういうことになってしまうのです。

 自分の足跡をいくらかなりとも残したいという気持ちなのかも知れません。

 何事につけても「今は忘れにけり」「さだかにもわきまへ知らず」と言っているのが、周りから見てどんなにさわやかであろうかということは、十分承知しているつもりなのです。

 まことに他人ごとでなく、みずから「いとわびし」と思わされてしまいます。

《原文》
年老いたる人の、一事すぐれたる才能ありて、「この人の後には、誰にか問はん」などいはるゝは、老(おい)の方人(かたうど)にて、生けるも徒(いたづ)らならず。さはあれど、それもすたれたる所のなきは、「一生この事にて暮れにけり」と、拙く見ゆ。「今はわすれにけり」といひてありなん。大方は知りたりとも、すゞろにいひ散らすは、さばかりの才にはあらぬにやと聞え、おのづから誤りもありぬべし。「さだかにも辨へ知らず」などいひたるは、なほ實(まこと)に、道の主(あるじ)とも覺えぬべし。まして、知らぬこと、したり顔に、おとなしく、もどきぬべくもあらぬ人のいひ聞かするを、「さもあらず」と思ひながら聞き居たる、いとわびし。


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第百六十七段

 鋭い人間観察の見られる段です。

 「一道に携はる人」でなくても、「あはれ、我が道ならましかば」という思いはしばしば私たちの心に萌します。
 そんなふうに思わないで、「あな羨まし、などか習はざりけん」と言っておくのがよいというのですが、この二つの言葉の、見方によれば微妙な対比が、大変に的確で分かりやすく思われます。

 第百五十段で見た自意識の話の続きと言える内容ですが、それが生み出した言葉と、それを克服した言葉の対比が実に見事です。

 兼好はこの自意識を何とかして排除しようとしているようです。

 以下、話は「あはれ、我が道ならましかば」と考えることのよくないことを語っていくのですが、こちらへ行くとどうしても教訓的になって、「物と争わざるを徳とす」と言われてしまうと、結局頭を下げることにしかならないのが不満です。
 それにその話はすでに第百三十段で語ったことではありませんか。

 私としては「あな羨まし」の方のあり方を語って欲しかったと思います。
 こちらはどういう展開になったでしょうか。
 他人のしていることをすばらしいと認める姿勢は美しいものです。
 Aさんが「Bさんはいい人だ」と言ったとします。その時、Bさんがいい人である可能性よりも、実はAさんがいい人である可能性の方が高いのではないかと私は思います。

 子どもの頃友だちと喧嘩して、相手に「ばか」とののしられると、「ばかといった者がばかだ」と言い返してやり合うのが定番でしたが、この言葉は案外核心をついた言葉だったのではないかとこの頃思います。

 他人を評価する言葉は、しばしばその前に、それを口にした当人の人柄を表します。

 終わりの一文もいい言葉です。
 何事にも長じていない私ごとき者の言うべきことではありませんが、第七十九段のところでも書いたように、「道」に長じるということは、自ら長じていないことを知っていくということ、ソクラテスの、いわゆる「無知の知」の話を更に一歩進めたような認識だと言えるのではないでしょうか。

《原文》
一道に携はる人、あらぬ道の席(むしろ)に臨みて、「あはれ、我が道ならましかば、かくよそに見侍らじものを」と言ひ、心にも思へる事、常のことなれど、世にわろく覺ゆるなり。知らぬ道の羨ましく覺えば、「あな羨まし、などか習はざりけん」と言ひてありなん。我が智を取り出でて人に爭ふは、角あるものの角をかたぶけ、牙あるものの牙を噛み出す類なり。
 人としては、善にほこらず、物と爭はざるを徳とす。他に勝る事のあるは、大きなる失なり。品の高さにても、才藝のすぐれたるにても、先祖の譽にても、人にまされりと思へる人は、たとひ詞に出でてこそいはねども、内心に若干(そこばく)の科(とが)あり。謹みてこれを忘るべし。をこにも見え、人にも言ひ消たれ、禍ひをも招くは、たゞこの慢心なり。
 一道にも誠に長じぬる人は、みづから明らかにその非を知る故に、志常に滿たずして、つひに物に誇ることなし。

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第百六十六段

 相変わらずの無常迅速の話です。例えば第百五十五段と比べて、その認識に特に変化したところは見られません。

 ということは、この段は、その比喩が兼好の気に入ったもので、それ自体が書きたかったのだということになると思います。

 それについて『全訳注』は「いつもながらの兼好の比喩の巧みさがある段である」と言い、『全注釈』も「この『雪仏』は、当時の読者には、新鮮・有力な譬喩として、心を打つものがあったように思われる」と言っています。

 しかしこの比喩は、春の日、雪仏、金銀珠玉と大変華麗な比喩ですが、私にはあまりに拵えすぎた、これ見よがしの比喩のように思えて、兼好らしくないような気がします。

 その点でも百五十五段の「木の葉の落つるも、…下よりきざしつはるに堪へずして落つるなり」の方が素直で分かりやすく、自然です。

《原文》
人間の營みあへる業を見るに、春の日に雪佛(ゆきぼとけ)を造りて、その爲に金銀珠玉の飾りを營み、堂塔をてむとするに似たり。その構へを待ちて、よく安置してんや。人の命ありと見る程も、下より消ゆる事、雪の如くなるうちに、いとなみ待つこと甚だ多し。

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