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第百四十段

 「財」を『全注釈』はわざわざ「財宝・財物・宝物。金銭や財貨ではない」と注していますが、本文に「よからぬ物たくはへ置きたるもつたなく」とあるのですから、必ずしもそういう一般に価値ある物ばかりではなく、趣味的に遺していた物やたまたま溜まった物も含むと考える方がよいのではないでしょうか。

 実際、晩年になってみると、多くの物が溜まっています。
 我ながらそれを見回して、後に残るもの達はこれを一体どう処分するのだろうと思うと、済まない気がしてきます。

 しかし、それがさして価値ある物ではないことはわかっていても、今すぐそれを処分しようと思うと、意外にできないということは、「断捨離」の本が書店で平積みされていることからもよくわかるというものです。

 ただ、兼好自身、ここに言うようにできたかと言えば、実際はそうではなかったのではないでしょうか。
 もちろん私たちのようにごたごたと物を並べていたわけではないでしょうが、少なくともここに希望的に書かれたような状態ではなかったに違いありません。

 この書のこういう心得を書いた文章は、どうも自分のことは脇に置いての説教調で、時に高圧的です。

 ここでも自分が現実にきれいさっぱり何もない部屋にいるのであれば、このようには書かないで、そのさっぱりした様を楽しんでいるように書くのではないかと思います。
 段末の「その外は何も持たでぞあらまほしき」は、そう希望してもなかなか出来ないことを嘆いているように聞こえるのですが。

 できているのなら、書く必要はなかったでしょう。
 そうありたいと思いながら、その通りになかなか行かないからこそ書く、それも、かくあるべしという形で書くところに、兼好の兼好たる所以があるように思います。

《原文》
 身死して財殘ることは、智者のせざるところなり。よからぬもの蓄へおきたるも拙く、よき物は、心をとめけむとはかなし。こちたく多かる、まして口惜し。「我こそ得め」などいふものどもありて、あとに爭ひたる、樣惡(あ)し。後には誰にと志すものあらば、生けらむ中にぞ讓るべき。朝夕なくて協(かな)はざらむ物こそあらめ、その外は何も持たでぞあらまほしき。
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第百三十九段

 前の段の葵や菖蒲の話の連想で、それが『枕草子』第三十四段「木の花は」、第三十七段「花の木ならぬは」、第六十三段「草は」、第六十四段「草の花は」(各段は『集成』本による)の影響の元に書かれたに相違ありませんが、それらに比べるとこちらの方はテンポに欠け、理屈っぽく見えておもしろくありません。

 大きな違いは、『枕草子』の筆者は自分の気に入ったものをただ並べるだけです。そして先に挙げた四つの段で七十五の木草を挙げていますが、明確に否定的な評価は多分一回(つきくさ)しか出てきません。

 それに対して、この段では三十一種挙げた中で四つが否定的評価を受けていて、しかも、例えばその一つに「虫のつきたる桜」を挙げるなど、あまりに当たり前で、何を思って書いたのか計りかねます。

 また「遅桜」、「遅き梅」という時季外れのものをわざわざ言うのなら、好ましいとして挙げられた全てのものについても同じように言わなくてはならないでしょう。

 こうした不要のものが入っているために、全体が雑然とした印象になってしまっているように思われます。

 その他の好ましくないものに、八重桜が挙げられ、さらに段末で「この外の、世に稀なるもの、唐めきたる名の聞きにくく、花も見なれぬなど」をまとめてダメとし、さらに「おほかた」以下、ダメであることのだめ押しをしていますが、それらは、兼好の兼ねての持論である、「珍しくありがたき物は、よからぬ人のもて興ずるものなり」という所に収斂されて、いささかくどいと思わずにはいられません。

 もともと木草はただそこにあるのであって、それに高尚下品の差などがあるはずもなく、また誰もが納得すべき好ましい木草というものがあるわけでもなく、全ては当人の全く主観的な趣味の域を出るものではないでしょう。
そういうものの好悪に理屈を付ければ、押しつけがましく、煩わしいだけです。

 人は他人が何かを好きだと言っても聞き流すことが出来ますが、自分の好みのものを嫌いだと言われると、黙ってはいられません。

 兼好はただ最後の二行を言うために、単に例として木草をもちだしたのではないかと疑いたくなります。

《原文》
 家にありたき木は、松・櫻。松は五葉もよし。花は一重なるよし。八重櫻は奈良の都にのみありけるを、この頃ぞ世に多くなり侍るなる。吉野の花、左近の櫻、皆一重にてこそあれ。八重櫻は異樣のものなり。いとこちたくねぢけたり。植ゑずともありなん。遲櫻、またすさまじ。蟲のつきたるもむつかし。梅は白き、うす紅梅。一重なるが疾く咲きたるも、重なりたる紅梅の匂ひめでたきも、みなをかし。おそき梅は、櫻に咲き合ひて、おぼえ劣り、けおされて、枝に萎みつきたる、心憂し。「一重なるがまづ咲きて散りたるは、心疾く、をかし」とて、京極入道中納言は、なほ一重梅をなむ軒近く植ゑられたりける。京極の屋の南むきに、今も二本(もと)はべるめり。柳、またをかし。卯月ばかりの若楓(わかかえで)、すべて萬の花・紅葉にも優(まさ)りてめでたきものなり。橘・桂、何れも木は物古(ものふ)り、大きなる、よし。
 草は山吹・藤・杜若・撫子。池には蓮(はちす)。秋の草は荻・薄・桔梗(きちこう)・萩・女郎花・藤袴・しをに・吾木香(われもこう)・刈萱(かるかや)・龍膽(りんどう)・菊・黄菊も・蔦(つた)・葛(くず)・朝顔、いづれもいと高からず、さゝやかなる、垣に繁からぬ、よし。この外の、世にまれなるおの、唐めきたる名の聞きにくく、花も見なれぬなど、いとなつかしからず。
 大かた、何も珍しくありがたきものは、よからぬ人のもて興ずるものなり。さやうの物、なくてありなん。
第百三十八段

 前の段の「大路見たるこそ、祭見たるにてはあれ」で述べた考え方と直接的に繋がる内容です。

 しおれた葵の花を眺めて「祭」の余韻を語ることが、同時に書中屈指の充実した長文を語ってきたあとの余韻であるかのようにさえ感じられます。

 祭の日の葵はその時と所を得て晴れがましく色鮮やかに時めいていました。そして枯れた葵は、祭の当日の幻影をまとい、さらに世の無常をもまとって、今そこにあるのです。

 実はそれを見ることこそが「祭を見たるにてはあれ」なのだと兼好は語っていたのでした。ここは長歌に添えられた反歌の趣きといってもいいかも知れません。

 もっともそれにしては少々長すぎる気がします。
 『全注釈』に「やや、考証的、故実的な方向を示す表現になっていて、前段の深さには及ばないものがある」と評される所以です。

 前の段がなければ、もっと語りたくなる段ではあります。

《原文》
「祭過ぎぬれば、後の葵不用なり」とて、ある人の、御簾なるを皆取らせられ侍りしが、色もなく覚え侍りしを、よき人のし給ふことなれば、さるべきにやと思ひしかど、周防の内侍が、
かくれどもかひなき物はもろともに みすの葵の枯葉なりけり
と詠めるも、母屋(もや)の御簾に葵のかゝりたる枯葉を詠めるよし、家の集に書けり。古き歌の詞書に、「枯れたる葵にさしてつかはしける」ともはべり。枕草紙にも、「來しかた戀しきもの。かれたる葵」と書けるこそ、いみじくなつかしう思ひよりたれ。鴨長明が四季物語にも、「玉だれに後の葵はとまりけり」とぞ書ける。己と枯るゝだにこそあるを、名殘なくいかゞ取り捨つべき。
 御帳にかゝれる藥玉も、九月九日、菊にとりかへらるゝといへば、菖蒲は菊の折までもあるべきにこそ。枇杷の皇太后宮かくれ給ひて後、ふるき御帳の内に、菖蒲・藥玉などの枯れたるが侍りけるを見て、「折ならぬ音(ね)をなほぞかけつる」と、辨の乳母のいへる返り事に、「あやめの草はありながら」とも、江侍從が詠みしぞかし。

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第百三十七段

 ここから下巻に入ります。
 その巻頭に置かれるに相応しく、この段は、話題が緊密な連絡を持ちながら次々に転換していき、それぞれの一文ごとに発見があると言ってもよいほどに豊かで充実した段で、読む者を引っ張っていく力があると思います。

 第十九段に「折節の移りかはるこそ、ものごとにあはれなれ」とあって、この段と同じ趣旨の書き出しですが、そこでは事象の変化に風趣を見つけているにすぎないのに対して、ここでは物事をそういう変化の相において捉えようとする物の見方の発見が語られていると言ってよいでしょう。

 それは「折節」が語られるのと人の「生き方」が語られるのとの違いと言うこともできます。

 特に「かたゐなかの人」の花見や祭り見物の話は、そのまま現代風俗のようにも思われて、群れを成して右往左往、走り回る人の姿が具体的に彷彿せられておかしく、圧巻と言えます。

 その中で、その祭り見物の最後は「大路見たるこそ、祭見たるにてはあれ」と結ばれるのですが、これについて諸注はおおむね「一日の大路の風景の変化を見ることに意義があるのだと説いたもの」(『全訳注』)というように読んでいるようです。

 しかし私はそうではなく、「大路」を掩っていた行列もいなくなって人混みも消え、桟敷も飾り付けもすっかり片付けられて、もとのただ広々とした大通りを見てこそ、初めて祭りを見たと言えると言っているというふうに読みたいと考えています。

 この段で情趣有りとされるものは、初めから実は全て眼前にないものばかりで、あるのはただそのよすがだけです。
 花も月も、男女の情けも祭も、直接その対象自体の情趣が語られることありません。

 和歌の本歌取りという修辞は、その歌人にとっての現在ただ今の思い(情景)に、古歌に読まれた思い(情景)を重ね合わせる技法と言ってよいと思いますが、それに象徴的に見られるように、眼前の風景に幻影を重ね合わせて、そこに新たに再構成された幻影の美の世界を創作する、それが中世美学の一つの形だと思うのです。

 ここでも、「立て並べつる車ども、所なく並みゐつる人も、いづかたへか行きつらん、ほどなく稀になりて、車どものらうがはしさもすみぬれば、簾、畳も取り払ひ、目の前にさびしげに」なったときに、白々と再び姿を現した「大路」の上に、先ほどまでの雑踏と喧噪が幻影となって漂っている、そのような「大路」の姿を見たときにこそ、祭を見たことになるのだと言っている、と読みたいのです。

 祭の一部始終を見る必要はなく、祭自体は、花見の話の冒頭にあるのと同様に、「さはることありまからで」でもよいのであって、祭を見てと「いへるに、劣れる事かは」なのではないでしょうか。

 そして実はそう考えると、次の段落への繋がりはいっそう自然になっていくように思うのです。
 その冒頭、「かの棧敷の前をここら行き交ふ人の、見知れるがあまたあるにて知りぬ、世の人数もさのみは多からぬにこそ。この人みな失せなむ後、わが身死ぬべきに定まりたりとも、ほどなく待ちつけぬべし」は、読む度に無常観というものを肉体的感覚として実感的に理解させられる気がします。

 私はここで実は逆に、私がいなくなったあと、この人達は何事もなかったように日常を生きていき、私という存在があったということ自体が消滅していくのだという思いを逃れることができません。

 もちろんそれを残念だとかけしからんとか思うのではありません、ただその事実の冷厳さに圧倒される思いが切実に湧いてくるのです。

 このあとの双六の話は問題を軽くするだけで全く余計な話だと思います(つまり、比喩などで語るべきレベルではないと思うのです)が、兼好の無常観は、その語り口が穏やかである分だけ、ここにおいてこれまでとは違った深みに至っているように思います。

 そこでは、一人の人の人生とは、その人にとっての現実とその人が思い描いた幻影とを重ね合わせて再構成された仮構の空間なのだということになるような気がするのです。

 私は、私自身に関しては、仮に私が生きている間に何事かをなし得て残る物があるとしても、私の内心で渦巻いたその時々のそれこそ無数の思い、喜びや悲しみや怒り、絶望や夢、安らぎや苛立ちなど以上にかけがえなく思うものはありません。
 しかしそれらは私の肉体の消滅とともに一切が霧のようにかき消えて行くでしょう。

 思えば、過去が結局は幻影でしかいない以上、現在もまた早晩、幻影となるしかないわけです。

《原文》
花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは。雨にむかひて月を戀ひ、たれこめて春のゆくへ知らぬも、なほあはれに情ふかし。咲きぬべきほどの梢、散りしをれたる庭などこそ見どころおほけれ。歌の詞書(ことばがき)にも、「花見に罷りけるに、はやく散り過ぎにければ」とも、「さはることありて罷らで」なども書けるは、「花を見て」といへるに劣れる事かは。花の散り、月の傾くを慕ふ習ひはさる事なれど、殊に頑なる人ぞ、「この枝かの枝散りにけり。今は見所なし」などはいふめる。
 萬の事も、始め終りこそをかしけれ。男女の情(なさけ)も、偏に逢ひ見るをばいふものかは。逢はでやみにし憂さを思ひ、あだなる契りをかこち、長き夜をひとり明し、遠き雲居を思ひやり、淺茅が宿に昔を忍ぶこそ、色好むとはいはめ。
 望月の隈なきを、千里(ちさと)の外まで眺めたるよりも、曉近くなりて待ちいでたるが、いと心ぶかう、青みたる樣にて、深き山の杉の梢に見えたる木の間の影、うちしぐれたるむら雲がくれのほど、またなくあはれなり。椎柴・白樫などの濡れたるやうなる葉の上にきらめきたるこそ、身にしみて、心あらむ友もがなと、都こひしう覺ゆれ。
 すべて、月・花をば、さのみ目にて見るものかは。春は家を立ち去らでも、月の夜は閨のうちながらも思へるこそ、いと頼もしう、をかしけれ。よき人は、偏にすける樣にも見えず、興ずる樣もなほざりなり。片田舎の人こそ、色濃くよろづはもて興ずれ。花のもとには、ねぢより立ちより、あからめもせずまもりて、酒飮み、連歌して、はては大きなる枝、心なく折り取りぬ。泉には手・足さしひたして、雪にはおりたちて跡つけなど、萬の物、よそながら見る事なし。
 さやうの人の祭見しさま、いとめづらかなりき。「見ごと いとおそし。そのほどは棧敷不用なり」とて、奧なる屋にて酒飮み、物食ひ、圍棊・雙六など遊びて、棧敷には人を置きたれば、「わたり候ふ」といふときに、おのおの肝つぶるやうに爭ひ走り上がりて、落ちぬべきまで簾張り出でて、押しあひつゝ、一事(こと)も見洩らさじとまぼりて、「とあり、かゝり」と物事に言ひて、渡り過ぎぬれば、「又渡らむまで」と言ひて降りぬ。唯物をのみ見むとするなるべし。都の人のゆゝしげなるは、眠りて、いとも見ず。若く末々なるは、宮仕へに立ち居、人の後(うしろ)にさぶらふは、さまあしくも及びかゝらず、わりなく見むとする人もなし。
 何となく葵(あふひ)かけ渡して なまめかしきに、明けはなれぬほど、忍びて寄する車どものゆかしきを、其か、彼かなどおもひよすれば、牛飼下部などの見知れるもあり。をかしくも、きらきらしくも、さまざまに行きかふ、見るもつれづれならず。暮るゝ程には、立て竝べつる車ども、所なく竝みゐつる人も、いづかたへか行きつらん、程なく稀になりて、車どものらうがはしさも濟みぬれば、簾・疊も取り拂ひ、目の前に寂しげになり行くこそ、世のためしも思ひ知られて、哀れなれ。大路見たるこそ、祭見たるにてはあれ。
 かの棧敷の前をこゝら行きかふ人の、見知れるが數多あるにて知りぬ、世の人數もさのみは多からぬにこそ。この人皆失せなむ後、我が身死ぬべきに定まりたりとも、程なく待ちつけぬべし。大きなる器(うつはもの)に水を入れて、細き孔をあけたらんに、滴る事少しと云ふとも、怠る間なく漏りゆかば、やがて盡きぬべし。都の中に多き人、死なざる日はあるべからず。一日(ひ)に一人二人のみならむや。鳥部野・舟岡、さらぬ野山にも、送る數おほかる日はあれど、送らぬ日はなし。されば、柩を鬻(ひさ)ぐもの、作りてうち置くほどなし。若きにもよらず、強きにもよらず、思ひかけぬは死期なり。今日まで遁れ來にけるは、ありがたき不思議なり。暫しも世をのどかに思ひなんや。まゝ子立といふものを、雙六の石にてつくりて、立て竝べたる程は、取られむ事いづれの石とも知らねども、數へ當ててひとつを取りぬれば、その外は遁れぬと見れど、またまた数ふれば、かれこれ間(ま)拔き行くほどに、いづれも、遁れざるに似たり。兵の軍(いくさ)に出づるは、死に近きことを知りて、家をも忘れ、身をも忘る。世をそむける草の庵には、しづかに水石(すいせき)をもてあそびて、これを他所(よそ)に聞くと思へるは、いとはかなし。しづかなる山の奧、無常の敵きほひ來らざらんや。その死に臨めること、軍の陣に進めるに同じ。

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第百三十六段「医師篤成、故法皇の御前にさぶらひて」

 同じように謎かけによる笑い話ですが、こちらの方は質問の手が込んで知的で、かつ挑戦的です。
 二人のキャラが立って、角突き合い、笑い話と言うより、勝負事のようです。

 篤成はどうしてこんな大見得を切ったのでしょうか。
 前の段の大納言の大見得は上位者が若い下位者に対話の中でたまには言いそうですが、こちらは医師で、まわりには法皇をはじめ多くの彼より上位者がいたでしょうから、少し状況が分かりにくく思われます。

 もし普通にこういうふうにものを言う人だったなら、少々鼻持ちならない人だったことでしょうから、学識のある年長、上位者である有房が、ちょっと懲らしめてやろうというような気持ちになったのも肯けます。

 質問の手が込んでいると言いましたが、とっさにその場でこういう問題が出せるというのは、有房の学識と日ごろの問題意識の広さを感じさせます。

 しかしそれ以上に、『全注釈』が有房の二つの言葉の落差に「豹変」を感じて、そこに彼の「意地の悪い、老獪な、そして辛辣で皮肉な性格を感ずる」と書いていますが、同感できる読み方です。

 やはり、なぞなぞの面白さではなく、篤成や有房という人間像に関心を持って書かれた段なのでしょう。

 さてところで、『集成』が底本としている烏丸本『徒然草』は上下二巻本で、この段までを上巻とし、以下、下巻に移るそうです。

 楽屋話で恐縮ですが、この正月に娘にブログというものの講習を受けて、初めての試みながらこれを書き始め、毎日の午前中の数時間をこれに費やすようになりました。
 その後娘の激励に引っ張られ、叱咤に追い立てられて、ともかくもここまで綴ってきました。
 やれやれという思いとともに、ここでひとつ改めて気合いを入れ直して、いざいざ後半へ、という思いでおります。
 つきましては、お立ち会いの中でご用とお急ぎのない向きは、どうぞ今後ともお気の向く折々の時にこれをお覗きいただき、長くおつきあいを賜りますよう、隅から隅まで、ずずず~いっと、御願い申し上げまして、明日まで半日の中入りということにさせていただきます。
《原文》
醫師篤成(あつしげ)、故法皇の御前に候ひて、供御の參りけるに、「今參り侍る供御のいろいろを、文字も功能(くのう)も尋ね下されて、そらに申しはべらば、本草に御覽じあはせられ侍れかし。一つも申し誤り侍らじ」と申しける時しも、六條故内府(だいふ)まゐり給ひて、「有房ついでに物習ひ侍らん」とて、「まづ、『しほ』といふ文字は、いづれの偏にか侍らむ」と問はれたりけるに、「土偏(どへん)に候」と申したりければ、「才のほど既に現はれにたり。今はさばかりにて候へ。ゆかしきところなし」と申されけるに、とよみになりて、罷り出でにけり。
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