上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
第百段「久我相国は、殿上にて水を召しけるに」

 「土器」と「まがり」の使い方の相違などが、現代、分からなくなっているようで、意味を正しく捉えにくい段です。

 『全注釈』は、土器は食器、「まがり」は飲器であって、その使い方についての故実をふまえた話ではないかとしていますが、前後の段から類推しても、そういうことであろうかと思われます。

 兼好は、こういう故実にこだわった話の一方で、逆に物事にこだわらなかった人を讃える話も第二百十五段の最明寺入道などを始めとして多く語っています。

 規律と自由の間にあっての自在な身の処し方が兼好の魅力なのだと言うことができると思います。

《原文》

 久我の相國は、殿上にて水を召しけるに、主殿司(とのもづかさ)、土器(かわらけ)を奉(たてまつ)りければ、「まがりを參らせよ」とて、まがりしてぞ召しける。



にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ にほんブログ村 本ブログ 古典文学へ にほんブログ村 教育ブログ 国語科教育へ
スポンサーサイト
第九十九段「堀川相国は、美男のたのしき人にて」

 ここからまたしばらく、故実に関する段になります。

 兼好のもとの主家で起こった出来事、華美好みの大臣が息子を長官とした検非違使庁の古びた唐櫃を新しく作り替えさせようとしたところ、役人達から「累代の公物、古弊をもちて規模とす」という反対にあってできなかったという話です。

 役人の意見が大臣の考えを覆したという、私たちの古代観からすると思いのほかに風通しのいい役所風景が思い描かれ、この大臣の「美男のたのしき人にて」「過差を好」むというだけではない、立派な人柄が描かれているのだろうかと思ってしまいますが、『全訳注』が「この事件の背後には、武士政権確立後の検非違使庁の形骸化という現象があろう」という興味深い見解を書いています。

 つまり、有名無実となった庁では長官の意見が通せないほどに統制が利かなくなっていたのではないかということのようです。

 そこで同書は、堀川家の権威失墜の話と見て、兼好にとって主家の「慨嘆すべき出来事」であるはずだが、と解説しています。

 しかし、それはあくまで「背後」の話なのであって、兼好はやはりいい話だと思ったのではないでしょうか。
彼としてはそういうことを書こうとしたのではなく、おそらく「古弊をもちて規模とす」という考え方を受け入れた主家に「さればこそ」と膝を打ったという話として読む方が、兼好の日ごろの考え方に見合う読み方ではないでしょうか。

 派手好みの大臣がどんな様子で部下の役人の意見を聞き入れたか、私たちには興味のあるところですが、兼好にとっては結果だけでよかったようです。

 目下の者の諫めを聞き入れ、あるいはその考えに一目置くというような話は、第六十六段にも見られましたが、この後、第百二段、百九段、百十四段と続けて出てきます。

《原文》

 堀河の相國は、美男のたのしき人にて、その事となく過差を好み給ひけり。御子 基俊卿を大理(だいり)になして、廳務を行はれけるに、廳屋の唐櫃見苦しとて、めでたく作り改めらるべきよし仰せられけるに、この唐櫃は、上古より傳はりて、その始めを知らず、數百年を經たり。累代の公物、古弊をもちて規模とす。たやすく改められ難きよし、故實の諸官等申しければ、その事やみにけり。


にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ にほんブログ村 本ブログ 古典文学へ にほんブログ村 教育ブログ 国語科教育へ
第九十八段「尊きひじりのいひ置きける事を書き付けて、一言芳談とかや」

 五つの言葉が挙げられていますが、いずれも兼好自身が言いそうな言葉です。

 第一条の「しようかしないでおこうかと思うことは、大抵はやめておいたほうがよい」については、現代では逆に「迷ったらやってみよ」というふうに勧めることの方が多いでしょう。

 遠くの芝生はきれいに見える道理で、新しく事を始めることは何によらず楽しいことで、ついつい楽観的に考えてしまいがちです。事を始めるには、バラ色の行く手を描くのではなく、決断と覚悟が必要なのだという教訓でしょうか。

 昨日(H25/3/15)のある地方紙の「顔」欄に囲碁の井山六冠が「AかBかと考えている時にふとCという手が浮かび、それがよい手であることが多い」と言ったとあり、それについて将棋界の天才・羽生が「C選んでよくなることはあまりない、やはり異能といわれるだけある」と感心したとありました。

 良い手か悪い手かはお二人の問題として、私たち凡人にはそのように第三の手が思い浮かぶということ自体が羨ましく思われます。

 この一条について『全注釈』が「あれかこれかという迷いを断つのには、その迷いそのものを抛棄してしまうのがよい」と言っているのは考え過ぎではないでしょうか。
迷ったらやめておけという日常的な処世を言っているのでしょう。

 他の四つの言葉を見ても、抽象的な観念を言っているのではなく、具体的な生活の仕方を言ったものを並べています。道学的な深読みをしてあまりに意味ありげに捉えようとすると、この段のおもしろみが薄れます。

 第二条の「後世を思はんものは云々」は第十八段の許由の話以来、この本の至る所で語っているところです。

 第三条の「遁世者は云々」は第九十六段がその具体といっていいでしょう。

 第四条の「上臈は下臈に云々」は第九十七段を少々真面目に言ったものと考えればいいでしょう。こういうふうに言ってもらえると、素直になるほどと思えるのです。

 第五条「仏道を願ふといふは云々」は第五十七段を初めとして本書でしばしば説くところで、ここに言う「第一の道」というのは、これもおそらく『全注釈』の言うような「最高の生き方」だというのではなく、具体的あり方としてそれがすべての始まりだと言っていると考える方が、この段に相応しいように思われます。

 『徒然草』はほとんど常に、抽象的な思弁を語ることをしません。
 常に現実を語っているのだと私には思えます。
 兼好はリアリストなのです。

《原文》

 尊き聖のい云ひ置きけることを書き付けて、一言芳談(いちごんほうだん)とかや名づけたる草紙を見侍りしに、心に會(あ)ひて覺えし事ども。
一 爲(し)やせまし、爲(せ)ずやあらましと思ふことは、おほやうは、爲ぬはよきなり。
一 後世を思はんものは、糂汰瓶(じんだがめ)一つも持つまじきことなり。持經(ぢきゃう)・本尊(ほぞん) にいたるまで、よき物を持つ、よしなきことなり。
一 遁世者は、なきに事かけぬやうをはからひて過ぐる、最上のやうにてあるなり。
一 上臈は下臈になり、智者は愚者になり、徳人は貧になり、能ある人は無能になるべきなり。
一 佛道を願ふといふは、別のこと無し、暇ある身になりて、世のこと心にかけぬを、第一の道とす。
この外も、ありし事ども、覺えず。






にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ にほんブログ村 本ブログ 古典文学へ にほんブログ村 教育ブログ 国語科教育へ
第九十七段「その物につきて、その物を費やしそこなふ物、数を知らずあり」

 前の段の「くちはみ」(まむし)からの連想の段でしょうか。
 「物は付け」の類の、第七十二段の「賤しげなるもの」に続く二つ目です。

 もちろん目玉は終わりの三つ、「小人に財あり。君子に仁義あり。僧に法あり。」です。
『全訳注』は「小気味よくまとめたところに手柄があろう」と言っていますが、一応は適評だと思われます。

 しかし、こう書いて呵々大笑でもしている兼好の姿でも思い浮かぶといいのですが、どうも彼の渋い顔しか浮かびません。
 すると、これらはやはり七十二段同様に、いかにもこれみよがしで、こざかしい批評とも言うしかなくなるのではないでしょうか。

 兼好は「世捨て人」「人生の達人」と考えられがちですが、なかなかそうばかりではなく、こういうちょっと気の利いたふうな、斜に構えた角度から眺めたことによって生じるおもしろみをねらう姿勢がときおり見られます。
 『徒然草』は、兼好にこういう青臭い「うけよう精神」があったということを頭の片隅に置いて読まれる必要があります。

 そう考えれば、この段は「小気味よく」できた洒落としてさらりと読んで、あまりあれこれ講釈を加えないままに措いて次に進む方がいいと思われます。
 洒落を解説するほどばかばかしいものはありませんから。

《原文》

 其の物につきて、その物を費し損ふもの、數を知らずあり。身に虱あり。家に鼠あり。國に賊あり。小人に財(ざい)あり。君子に仁義あり。僧に法あり。


にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ にほんブログ村 本ブログ 古典文学へ にほんブログ村 教育ブログ 国語科教育へ
第九十六段「めなもみといふ草あり」

 まさか前段の「緒」の話から、長いものの縁でというわけでもないでしょうが、「くちはみ」(まむし)についての話です。

 この二段が並んでいると、兼好の関心の雅俗の幅が明らかですし、それをこのように全く並べて同じように扱っていることに彼のユーモアがあるように思われます。

 また貴族的な暮らしと生の自然との奇妙な混在がこの時代の生活のあり方だったのだということがよくわかります。
 
 まむしもこの頃はすっかり少なくなって来たようですが、この時代にはおそらく日常的な危険のある生き物だったでしょうから、こういう知識は大切な実用のものだったことでしょう。
 雅と俗の幅だけでなく、教養と実用という幅もあったわけです。

《原文》

 めなもみといふ草あり。蝮(くちばみ)にさされたる人、かの草を揉みてつけぬれば、すなはち癒ゆとなん。見知りておくべし。


にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ にほんブログ村 本ブログ 古典文学へ にほんブログ村 教育ブログ 国語科教育へ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。